雨宮の迷走ニュース

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日本の宗教観。宗教がなくても自然と「規律」ができる日本

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日本は、宗教という言葉とあまり縁がないですよね。そう思っている人も多いはず。
浄土真宗と日蓮宗のちがいを聞いて即答できるのは、いったいどれくらいいるんでしょう。

宗教から戦後ニッポンを読み解く という記事が気になったので紹介します。

 

日本に宗教は必要か 

日本って宗教とあんまり密接に関係してないイメージありますよね。正月もクリスマスも祝うし。宗教政治をとっている国からすれば、すごく不思議だと思うんですよ。


「決まりってどうやって作るの?」みたいな。

「法律に決まってんじゃん」って思うかもしれませんが、法律を決めるにも根拠が必要なわけです。


たとえば先進国の中でも大きな力を持つアメリカは、州によっては中絶を認めていません。また、ヨーロッパでも条件付であることも。

それはキリスト教の教えに基づいているものです。

法律はもちろんあるんだけど、その法律にも、たくさんの人が共感できるような「ベース」が必要なんですね。じゃあ日本の「ベース」となるものってなんでしょう。

 

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日本は宗教なしでどうやって社会を律したか

宗教が根付いている国だと、聖書が規範となります。

たとえば、イスラム教を信仰している女性が髪をスカーフで隠すこと。聖書によって「そうすべきだ」と教えられていると考えられています。

キリスト教の教えでは隣人愛を説いているので、「それが正しい」と理解する。でも日本はこれといった規範、お手本になるものがありません。

社会が平穏になるためにすべてを法律で決めることはできませんし、倫理や道徳のようなものが必要であることを多くの歴史的経験が示していることでもあります。

でもたとえば日本のように「してはいけないことはしない」というきわめて厳しい道徳観が社会全体に行き渡っている場合は「宗教の戒律なくても社会の安定を保つことができる」と言うことなので、宗教の意味が失われるか、あるいは特定の宗教のもとでなくても、おおよそのことが決まっていれば快適で安心な社会を作ることができます。  

特に日本の神道が教典もなく戒律もないのは次のような理由によると考えられます。

1) 日本は島国でほぼ単一民族、単一言語だったので、国民の思考が一様だった。
2) そのため、論理的に言葉を交わさなくても気持ちが通じるところがあった。
3) そんな風土の中で、多くの人が合意する「空気」を作り出すことができた。
4) 「空気」が戒律や法律の代わりをしたので、宗教的な戒律は不要だった。

つまり、日本では「神」の代わりに「風土と空気」が意味を持っていた。


日本の空気を読む文化はそこに根ざしていたのか!?

日本は島国で、言葉や民族が同じだから思考がだいたいみんな同じだった。だからシンパシーを感じて、「空気」を作ることができた。で、その空気を大切にするから宗教的な戒律は不要だったと。


なんか納得できるぞ!!


恥の文化ですね。情けないことはしない。立派なことをする。
名を挙げる、名を残す、名を惜しむ……。

いろんな言葉が浮かびます。
自分の名前、つまりどう生きたかが大切なんですね。だからみっともないことはしない。しぜんと規律ができてくる。

あれ、なんか武士の生き方っぽいぞ……

 

とどめおかまし大和魂

いや吉田松陰先生の句はやっぱりちがいますわ。
結局、いまだに根付いている「日本人」の根幹って、「大和魂」なんじゃないでしょうか。

新渡戸稲造が『武士道』を英文で刊行したのは、明治33(1900)年だが、彼は執筆動機について上記のことには何も触れていない。

ベルギーの法学者ラブレーから「日本には宗教教育がないのにどうやって道徳教育をするのか」と問われて即答できず、その答えとして武士道という崇高な精神があると説明したのが、この本だと言っているだけである。


多くの社会的規範は、武士のふるまいからきてるのかも。

多くを語らないとか、言い訳しないとか、自分の行動に責任をもつだとか、裏切りはしないだとか、義を大切にしろとか。

そういうのは全部武士の美徳ですね。

宗教っていうのとはちがうけど、「武士道」という目に見えない聖書が、日本の社会規範を作っているんじゃないでしょうか。

ちょっと詩的に言ってみた。


宗教という「固定概念」がなくても、武士道という「規範」があるから、日本の社会は自然と規律ができていくんだと思います。

わたしは専門家じゃないので、思ったことを書いてみました。