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ドイツ発 雨宮の迷走ニュース

ちょっと尖ってるらしいオピニオン系ブログ。海外生活やライフハック、その他ニュースなど。

わたしは、震災を知らない。復興のために「少しだけ」力になりたい

雑記
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ちょっとまじめな記事です。
震災に直接関わらなかった一人の人間としての、率直な気持ちです。

 

 



震災は、「どこか」で起こっていた

わたしが2歳だったとき、兵庫県姫路に住んでいました。 阪神淡路大震災が起こった時です。そのときは「地震」を知らず、「なんだろうなぁ」と思ったことをぼんやりと覚えています。

わたしは地震前にすでに起きていて、揺れ初めてすぐにお父さんが起きました。次に4つ上のお兄ちゃん、お母さん。当時は4人川の字で寝ていました。

よくわからないまま、布団にわたしとお兄ちゃんを寝かせて、お母さんとお父さんが上にかぶさっていた記憶があります。幸い、落下した物が壊れた程度で済んだようです。

なのでわたし自身は、被災した、という自覚はありません。「そんなこともあったなぁ」くらい。


東北大震災大震災の時も、どこか他人事でした。
家にお兄ちゃんと二人だったんですが、すぐにお母さんが仕事から帰宅、出張中のお父さんとも連絡がつきました。停電して困るなぁ、くらい。

夜中に電気がついたときにテレビの画面を見て言葉を失ったことを覚えています。「これは日本なの?」と思いました。

そこからは旅行をキャンセル、交通網が乱れているので外出を控え、計画停電中はおとなしくしていました。

でも、それだけだったんです。
わたしが受けた震災の影響は、それだけでした。


人生が狂った人がいても、わたしには関係なかった

わたしの友人の中で被災した家族を持っていたのは、幸運なことに2人だけでした。 直接被災した人はいません。

二人とも福島出身で、一人のおじいちゃんは、震災のショックからか気落ちしてそのまま亡くなり、もう一人のご両親は公務員だったので、毎日寝る間も惜しんで働いていたようです。

とはいえ、「そっか、大変だね……」と言うくらいしかできず、実際どのくらい大変なのかも、よくわかっていませんでした。いや、いまもわかっていません。

わたしの中では「どこかに困っている人たちがいる」という認識でした。

そう言うと冷たいように聞こえますが、実際震災を体験、体感していないわたしにとっては、どうしてもどこか他人事でした。そういう人は、多いと思います。


いまだって、多くの方が仮説住宅で暮らしているそうです。5年経っても、ですよ?
「え、5年間ずっと仮設住宅なの? まじで?」と思いました。「どこかに引っ越さないの? っていうかまだ家建ってないの?」と。

わたしの意見を聞いて、「何もわかってない!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ですが実際わたしは、「何もわかってない」のです。


復興のために何かを犠牲にはしたくない

こういう人は多いと思います。

できるだけ早く復興してほしいし、つらい思いをしている人が一人でも減って欲しい。でも、日常生活で震災の影を感じないわたしたちは、「誰かがなんとかしてくれる」と思ってしまうんです。実感がないから。

もしわたしが5万円寄付することによって、誰かが仮設住宅から自宅に帰れるとしても、「5万円あったらおいしいもの食べれるなぁ」と思ってしまいます。


だから、復興が進んでいない現状を訴えかけられても、「そうか、まだ大変なのか」と思うだけ。そこから「何かできたらいいなぁー」くらいには思っても、「よし、何かするぞ!」と立ち上がる人はたぶん、少ないです。

このヤフーの検索くらいの手軽さなら多くの人がやると思いますが。


それはわたしが手助けをする気がないのではなく、その程度の現実感しかない、ということです。

「現実を知らなきゃ!」と東北に行くほど関心があるわけでもないし、「どうでもいい」と思うほど関心がないわけでもない。「その程度」なんです。


実際、そういう考えの人が一番多いのではないでしょうか。自分自身に影響がなかった人は、「心は痛むけど、たいした関心はない」というのが本音だと思います。

「なにかできるならしたいけど、そのために労力を使いたくない」人が大半だと思うし、「復興した方がいいけど、そのために自分が苦労したくない」というのが現実的です。それは「冷たい」からではなくて、ただ「身近ではないから」です。


とか言うと、「そんな人ばかりじゃない」とか「人の気持ちを考えろ」とか言われそうですが、「じゃあ自分の生活をなげうってでも復興に身を投じるべきなの?」と反論したくなってしまいます。自分には自分の生活がある。人の人生はかんたんには背負えません。

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少しだけ、力になりたい

でも、だからといって「どうでもいい」というわけではありません。

復興した方がいいに決まってるし、子どもたちの将来に暗い影がつきまとわなければいいな、と思います。けど「そのために自分の何かを犠牲にしたい」わけじゃないんです。本音です。

だからこそ、「少しだけ、力になりたい」んです。

たとえば東北を応援する催事場があれば「お、なんか買うか」と思うし、「検索で10円寄付ならしてもいいかな」と思う。言い方は悪いけど、「片手間で誰かの役に立てれば」くらいの気持ちです。


で、なにを言いたいかというと、「そういう人たちの気持ちを汲む機会」がもっとあればいいなぁと思います。

だってそういう人が実際一番多いと思うんですよ。「どうでもいいわけじゃないけど、身近に感じない」って状況の人。だから「ちょっとだけこれやってくれたら助かるよ!」って言われれば、「あ、そーなんですか? いいっすよ」みたいな。

スーパーでも「東北から届きました! 売り上げの1%を東北へ届けます!」って書いてるお漬け物があったら、ほかの量産品より「どうせ買うならこっちにしようかな」と考える人も多いはずです。

携帯でも「このリンクをクリックしたら、携帯代と一緒に100円寄付できます」みたいな。いや、これくらいはたぶんやってるんだろうけど、もっと気軽に大々的にさ。


そしたら多くの人が「少しだけ力になりたいな」と思って協力すると思うんです。

わざわざ何かするほどではないけど、そういう機会さえあれば好意的な人ってめっちゃいるはずです。わたしを含めたその人たちの好意をもう少しくみ取る機会があればいいなぁ、と感じます。

口だけのように思えますが、「ちょっとした機会」があれば手をさしのべる人がたくさんいるであろうことを伝えたいと思いまして。

というわけで、コンビニの募金箱を見つけたら「少しだけ」寄付します。