生活保護でパチンコはあり?日本は義務ばっかりで権利がない

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ちょっと乗り遅れた感がありますが、「生活保護でパチンコ問題」について考えたいと思います。わたし的にはぜんぜんOKなんですが、「生活保護の分際でパチンコしてんじゃねーよ!」という意見が多いようで。へぇー。

その考え方って、「自分たちが苦労して働いてるんだから、楽して金をもらうな」ってことですよね。

 

パチンコしてたから生活保護停止

ちょっと前のニュースですが、問題になっていましたね。概要はこんな感じ。

 

 福祉事務所は、遊技場を訪れていた生活保護利用者25名に対して指導を行い、この期間に2回以上にわたって遊技場を訪れていた9人に対しては、生活保護を1~2ヵ月停止(中断)する処分を行った。

この生活保護利用者たちは、「遊技場には立ち入らない」という内容を含む誓約書を、事前に別府市に提出していたという。

この出来事は、賛否とも大きな反響を巻き起こしている。「よくやってくれた!」という賛辞もあれば、「パチンコ競輪が生活保護法違反なのではなくて、別府市の処分が生活保護法違反では?」という批判もある。

 

パチンコで生活保護を停止した別府市の「罪と罰」|生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ|ダイヤモンド・オンライン

 

でも実際のところ、生活保護需給中にギャンブルをしたらいけない、という法律はないようで、法的根拠が問題になっているようです。

 

生活保護という権利

まぁ法律とかはくわしくはないので、精神的な話をしていきます。生活保護を受けることは恥ずかしい、情けない、と思っている人がいるようですが、生活保護って権利なんですけどね。

 

生活保護受給者に対する社会の冷たい風

生活保護を受けている人に対して、社会は冷たいように思えます。

学生時代の友人が、生活保護を受けつつジャニーズのコンサートに行きまくり、さらに習い事をいくつもしていたことを覚えています。

子どもながら、「あれー?」と思った記憶があります。

 

生活保護利用者の言動は、とかく世間の批判にさらされやすいものである。

「生活保護なのに○○、働いて納税している自分がかわいそう」「生活保護のくせに△△だなんて、いいご身分ねえ」の「○○」や「△△」に入りうるものは、縁日の金魚すくいで獲った金魚を飼う・100円で買ってきた花を飾る・図書館に行って本を借りてきて読む・スマホを所有する・子どもを進学校に進学させるなど、人間が行ったり「したい」と考えたりする可能性のあるもの全てにわたる。

 

パチンコで生活保護を停止した別府市の「罪と罰」|生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ|ダイヤモンド・オンライン

 

図書館くらい許してやれよw とは思うのですが、そうはいかないようです。

 

生活保護を受けている=我慢すべきという風潮

生活保護を受けている人のうち、本当に働けない理由がある、母子家庭で経済的にきびしい、という場合がほとんどでしょう。と思いたい。でも働きたくないから税金をもらって遊んでいる人がいないとは言えません。

 

とはいえ、そんなの一部でしょう。

生活保護を必要としている人は、切実で、わらにもすがる思いだったんじゃないですかね。基本的には。

 

国から経済的な支援を受けているからといって、不幸でいる必要はないんですよね。自分の人生を楽しめるだけ楽しめばいい。パチンコに行きたければ行けばいい。

 

「貧乏人は苦労しとけ!」という考えの人は、自分が不慮のできごとで経済的に困窮することを想像できないんでしょうか。もしそうなって、自由を制限されたらどう思うんでしょう。

 

別にいいじゃん、パチンコ行きたいんだから。それでさらに経済的に厳しくなっても、それは自分の責任なわけですし。

 

生活保護はみんなの権利

生活保護っていうのは、最低限人間的な生活ができるように、というシステムです。わたしが働けなくなったら必要だし。みんなの権利です。

権利を使うことは、なんの問題もありません。それなのに生活保護=逃げ、という風潮はいただけません。自分たちだって、いつその制度を必要とするかわからないのに。

 

義務ばっかりで権利が縛られる日本

日本って、義務の比重が重くて、権利が軽すぎます。有給休暇だって、みんながとることを許されている権利なのに、「労働」という義務によってそれが軽視されています。めっちゃ腹立つ。

 

義務と権利は5:5であるべき

法律がどうのこうのは知りませんが、義務と権利は表裏一体。たとえば、労働すれば休む権利がもらえる。年金を納めるから年金がもらえる。そういうシステムなわけです。

わたしたちは、生活保護を需給できるという権利を持っています。その場合の義務は、4つの条件を満たすこと。

 

・援助してくれる身内・親戚がいない

・まったく資産を持っていない

・働けない

・月の収入が最低生活費用を下回っている

生活保護はこの4つの条件を満たせば受けられます。

 

これを満たすという義務をこなせば、生活保護をもらえる権利がある。というシステムです。

 

権利にごちゃごちゃ言いすぎ

というわけで、生活保護をもらっている人たちは、条件クリアという義務をこなして権利を使っているわけです。で、その権利をどう使うかは本人の自由。

有給休暇を取ってハワイに行こうがグアムに行こうが、本人の自由じゃないですか。生活保護という権利を使ってなにしようが、本人の勝手だと思うんですよ。

 

とはいえ嘘をついて働けないことにするのはアウトだけどね。

 

それでも納得いかない! というなら、生活保護担当の人に要件を確認に行けばいいと思います。それで納得しなければ、厚生労働省に問い合わせればいいんじゃないでしょうか。わたしたちには、その権利があります。

 

義務と権利は表裏一体

国民には、3つの義務が課せられています。公民で習いましたよね。

 

納税の義務⇔幸福を追求、プライバシー、生存権などを国から守ってもらえる権利、かな?

労働の義務⇔有給休暇、失業保険を受ける権利

子どもに教育を受けさせる義務⇔全国民の子どもが、家庭環境に関係なく教育を受けられる権利

 

こんな感じで、義務と権利は表裏一体なわけです。義務をこなすんなら、権利ももらえないと割りに合わないですよね。

 

権利は認められないといけない

日本には、義務ばっかりまかり通っていて、権利が重視されていません。本来、義務という責務を果たせば、権利という資格がもらえる。そうあるべきです。

 

生活保護を需給していても、人生の自由はあります。幸福の追求も保障されています。

好きなようにやればいいじゃないですか。働けず資産もなく、本当に切羽詰まっている人たちだっているんですから。そんな中でも楽しいことをする権利はあります。

 

ただ怠惰で生活保護を受けている人は、社会のお荷物として生きていきたいんだから、それでいいんじゃないでしょうか。 

わたしだったら社会のお荷物になって、社会の貢献もせずにただ人生を消費していくなんて、情けなくて無意味でイヤですけどね。

 

生活保護は基本的に最後の生命線。でも経済的に困窮しているからって、不幸でいる必要はありません。人生を楽しむ権利は、だれにでもあります。