みんな結局は自分が正しいと思ってる。批判なんて余計なお世話だよ

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最近何度か、「『自分が正しい、まわりがまちがっている』という考え方じゃ成長できませんよ」という、とてもありがたいアドバイスぶった批判をいただきました。

 

はぁ?( ◉◞౪◟◉)ハナホジー

 

「結局お前だって、『自分が正しい』と思ってるから、わたしがまちがえてるって言ってんじゃん! アホなの!?」と画面の前でバシィィィっとツッコミを入れました。

 

 

いやぁ、本当にネット上にはいろんな人がいるんですねぇ(感嘆)

 

というわけで今日は、「結局みんな自分が正しいと思ってるじゃん」って話です。だから批判なんて意味ないよね。

 

みんな自分が正しいと思ってる

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みんな、自分が正しいと思っています。だって世界の中心(主観)は自分ですからね。

 

わたし:「自分が正しいと思ってるよ」

A:「それはまちがいだよ」(まちがいだという自分が正しいと思ってる)

B:「自分がまちがえている可能性を考慮すべきだよ」(自分がまちがえている可能性を考慮すべき、という自分が正しいと思ってる)

C:「同意します」(同じ意見で自分が正しいと思ってる)

 

やっぱりみんな、自分が正しいと思ってるじゃん!!

 

当たり前かつバカみたいな例だけど、「自分が正しいと思ってちゃダメ」って言い分は理解不能です。

 

結局は自分の物差しではかってる

結局のところ、人間はものごとを主観的にしか判断できません。「自分」を通して世界を見てるんだから、当たり前です。

 

これはわたしの『自分の意見を言うと嫌われる。それはまわりが悪いだけ』に関してのツイートのようです。

昨日、クラウドファウンディングのあり方に疑問を呈していた方です。

 

 

いや、なんかもっともらしく聞こえるじゃん? 正論に聞こえるじゃん? でも、ちょっと考えてみてください。

 

「自分が100%正しいなんてことは絶対にない」って断定してるけど、「自分が100%正しいことは絶対にない」という「自分の意見」が「100%正しい」と思い込んでるんです。

 

特大ブーメランや!!

 

わたしは記事で、「意見を言うのは、わたしの意見を押し通したいからでもありません」って書いてるから。「『俺がすべて正しい!』っていうのは妄想」って書いてるから。なぜわたしが意見を押し付けたようになってるんだ……。

 

そういう文章を無視して、「自分が正しいって考えてると人生詰むよ」なんて言われたら、「そっちこそ自分の意見を過信しすぎだろ……」とあきれてしまうわけです。

 

はじめて図なんて書いてみたよ!

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なんかアホみたいな図になった……。

 

自分が正しい=正解ではない

だれしもが主観的に考えているわけですから、物差しは自然と「自分の感じ方」になります。それは当然。

自分の物差しに当てて、「これは正しい」「正しくない」と評価をします。

 

でもそこで忘れてほしくないのは、「自分が正しい=正解」ではないことです。

 

自分が正しい=自分の考えを信じる、であって、自分の考えが万国共通みんなにとって正しいと思っているわけではないんです。

 

だから、自分が正しい=正解、ではありません。

 

たとえば、わたしは空気を読みません。それが「自分のなかでは正しい」と思っているけど、「日本社会のなかではまちがっている」ことを理解しています。

それでも「空気を読まないという考え方」を信じているので、空気を読みません。

 

結局みんな、「自分」中心で世界を見ているので、自分の考え=正しいになるのは当然なんです。だってそれが「世界」だもの。

 

でも、それが「社会的に正解か」「ほかの人にとっても正解か」となると話は別。

 

ここを混同しちゃうと、自分の考え=正解という考え方になって、「だから他人はまちがえてる」みたいに選民思想をこじらせてるただの自己中になっていくわけです。

 

ここは! ちゃんと!! 区別しようね!!!

 

「自分が正しいとでも思ってるの? それはまちがいだよ」って考えも、「自分が正しいと思ってる」からなわけで、結局みんな「自分が正しい」って思ってるのは事実なわけ!

 

なにこれ禅問答!?

 

 

 

批判なんて余計なお世話

で、みんな「自分が正しい」と思ってるわけだから、批判なんてそもそも意味がないわけです。だって、自分が正しいんだから。でしょ?

 

はーい、もう1回図を描いてみたよ!

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こんな感じだと思います!

 

自覚あり×理解あり→「なんで自分と相手の考えがちがうんだろう?」と議論可能

自覚なし×理解あり→相手の主張する「正しさ」に腹を立てるけど、自分が「正しい」と思っていることには気づいていない→偉そうな批判や中傷

自覚あり×理解なし→「自分は正しい」が第一優先だから、「他人はまちがえている」という発想→自己中

自覚なし×理解なし→客観的にモノを見ることが可能だと思って、「第三者的視点」とか言い出す→エセインテリ

 

って感じで区分してみました。

 

で、批判してくる人っていうのは、大体の場合が「相手はまちがえてる」ことは確信してるくせに、「自分が正しい」と思い込んでることに気がついていません。

だから滑稽で、論点がズレてて、アホにみえるんです。

 

「自分の意見はこうだ!」っていうのはどんどん言うべきだと思うけど、「それはまちがえていて、俺の意見は正しい。だから俺の言うことを聞いておけ」っていうのは余計なお世話です。

 

自分が正しいんだから批判はスルー

お互いが「自分が正しい」と考えていることを理解して、「じゃあなんで正しいと思うんだろう?」と考えることができれば、議論が可能になります。

 

議論するなら、「相手がなぜそれを正しいと思って、自分がなぜちがうものを正しいと思うのか」を考える必要があります。

だから、「結局みんな自分が正しいと思っている」という前提を理解してないといけません。

 

批判の多くは、「君は正しいと思ってるけど、それはまちがえている」という意見の押し付けです。

批判している人は、他人が「自分が正しい!」って言うのに対して腹をたてるくせに、「自分が正しいと妄信している」ことに気付いていません。

 

そう考えると、批判なんて余計なお世話ですよね。

 

「自分が正しいと思うなよ!」という忠告は余計なお世話です。だってあなたもそう思ってるから。アホくさ。

 

なので、議論が成り立たない「批判」はスルーですね。余計なお世話。

批判するのは勝手だけど、自分の意見が正しいと思っていることを自覚しないとダサいですよ。