雨宮の迷走ニュース

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ドイツは難民に、「未来」を与えられるのか。受け入れ、その先は

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サンプル記事として書いたもの。長いですけどせっかくなので。


欧州を襲う難民の波。受け入れた、その後。ドイツは難民に、「未来」を与えることができるのか

今世界を賑わせているニュース、「難民問題」。それが大きく取り沙汰されたのは、今年になってからのことだ。

シリアを中心とする中東諸国、ソマリア、スーダンなどのアフリカ諸国、さらには南アジアに位置するアフガニスタンやパキスタン、そしてバルカン半島西部のコソボやアルバニアから、多くの人が移民としてヨーロッパへ渡ることを希望している。
小船に多数の移民希望者が乗り込み、地中海を無理に横断しようとしたところ転覆した、というニュースを耳にした人も多いだろう。

日本は地理的、そして法律的に難民申請をする者自体が少なく、「難民が押し寄せてくる」という実感がない。
だが欧州で難民は大きな社会問題として注目されており、「難民パニック」と言えるほどにその影響は強い。
特にドイツはEU圏でも経済力が安定しており、さらに難民に対して寛容なので、多くの難民が押し寄せている。
それは9月12日の1日だけで、1万2千人が南部の都市ミュンヘンにたどり着いたほどである。それだけ多くの難民が、現在ドイツで難民申請をしているだ。

日本では難民を受け入れるかどうかの議論がされてはいるが、身近な物として考えている人は皆無だ。
日本には「外国人」自体が非常に少なく、島国という土地柄と鎖国の歴史をかんがみても「外国人が日本で生活している」ということに違和感を持つ人もいまだに多い。だがドイツはそうもいかないのだ。

第二次世界大戦の反省――という立派な名目で難民を数多く受け入れている国、ドイツ。
ヨーロッパでは失業率も低く、国からの支援は手厚い。確かに受け入れ先としては理想的である。だが、受け入れたその後はどうだろうか。日本ではどの国がどれだけ受け入れていて、どれだけそのために金を出すべきかという報道がやたら多い。
だが当事者としてのドイツは、それだけでは終われないのである。

多くの難民を受け入れたドイツは、今もなおその対応に追われている。
衣食住、それを保障した後に出てくるのは、「雇用」という問題だ。将来自活するために、彼らには仕事が必要となる。

受け入れたら最後、放り投げるわけにはいかない。就職口を見つけなければ、ドイツがひたすら支援し続けるしかなくなる。
そんな中で、デュッセルドルフに本社をかまえるヘンケル株式会社の重役、Kasper Roested氏は、23日付けのフランクター・アルゲマイネ紙上でこう言い捨てた。
「私たちは移民に、すべての権利を与えている。だが義務について話す勇気がない。たとえば私の故郷デンマークでは、難民は言葉を学ぶ義務がある。学ばなければ、国からの支援金が減る。権利と義務は、ドイツより根本的に厳しく実施されている」。
そして彼は、経営に携わる者としての視点でこうも語った。「難民がドイツの少子高齢化を解決できるという考え方があるが、それは間違っているだろう。
大切なのは、何人受け入れるかではなく、その者たちにどれだけ専門知識があるかだ。私たちは科学やエンジニアの分野に精通していて、技術を持っている人々が必要だ」。(出典1)

それは確かに企業の正直な思いであろう。採用するならば、即戦力であるほどいい。
だがそれを難民に求めるのは酷だ。そして企業としても、難民としてドイツにたどり着いた者たちに救いの手を差し伸べようとしている。ドイツの自動車メーカー、BMWがその例だ。10月から、50名の難民に語学授業と合わせた資格支援をはじめた。

難民を企業で受け入れる、と言っても問題になるのは語学力だ。
いくら技術を教えるといったところで、コミュニケーションが取れなければスタートラインにも立てない。そのためBMWも、1日のうち2時間を語学授業に当てるようした。だが企業の努力にもかかわらず、難民の「未来」は決して明るくはない。
企業は出来る限りの支援はするが、研修や語学授業が終わった後の将来を約束するものではない。難民への具体的な就業計画はないといってもいい。(出典2)

南ドイツ新聞では、セネガルから移民としてドイツへ渡った、Cheikamadou Sallという青年を取り上げていた。
彼は33歳で、現在ファーストフードのチェーン店で働いている。セネガルはコソボやボスニア・ヘルツェゴビナと並び「安全な出身国」に指定されており、経済的難民にあたる。宗教的迫害や紛争地域にあって命の危険が脅かされる避難民と比べ、経済的難民は優先度が低い。避難民であれば全面的に受け入れられることが多いが、経済的難民の立場は危うい。
いくら「安全な出身国」とされているセネガルであっても、その情勢は常に不安定だ。彼は8歳の時、父親のいる中央アフリカ共和国へ移住した。それでもムスリムとクリスチャンの対立が顕著で、ついにリスクの高い「移民」という手段に出た。
彼の兄弟は西アフリカのガンビアで暮らしている。そんな状況では、自国に帰るという選択肢はまったく想像できないという。

彼の仕事は、接客、清掃、キッチン……などのあまり好まれないものだ。実際ドイツ人や、多くの外国人労働者がすぐに辞めたという。
週末の仕事は明け方の朝3時までかかり、始発の電車を待つ。彼は、「セネガルには貧困と飢餓しかなく、将来への希望などまったくない」と語った。
先日、移民が住んでいる建物に急に警察が現れ、一人のガンビア人を連れて行ったそうだ。そして次は自分ではないかと、他の移民もおびえているという。将来に心から不安を抱いている彼は、最悪の場合はどうにかしてフィンランドへ行こうと思っていると語った。(出典2)

建前として難民を受け入れるも、本音としては即戦力がほしい企業。そして、未来に希望を持てない移民の青年。難民を肌で感じることのなかった日本人には、どう映るのだろうか。

そして南ドイツ新聞はさらにこう述べている。「ドイツは移民が必要だ。人口は減り、専門職で人が足りていない。だがシリア、アフガニスタン諸国からの難民が、近いうちにその問題を解決してくれるとは思わない。
その問題を解決したいのであれば、一度に150万もの専門知識がほんの少し、もしくはまったくない人を受け入れることは確実に間違っている。その代わり、教養があり、できる限りすぐ即戦力になる人を受け入れる努力をすべきだ」。それは先ほど紹介した Roested氏と同じ意見であり、現実的な視点だ。
だがその記事はその後、「難民の問題はまったくもって移民政策とは関係ないものであり、これは人道的な問題である。私たちの使命は、彼らに未来を与えて、その国の市民になることに誇りを持てるようにすることだ」と述べている。(出展3)

事実難民を受け入れる「指針」は多く存在するものの、法的にはよその国の者を受け入れて養わなくてはいけない、という義務はないのである。
だが難民の受け入れは人道的な問題であるため、人権問題に敏感な欧州では、結局は受け入れるという方針になることは自然な流れだ。

だが受け入れるというのは、ただ税金を難民の衣食住に当てればいいというわけではない。彼らは自国で将来の希望が持てず、助けを求めているのだ。
自国で手に入れられなかった「将来」を得るチャンスを提供することが出来なければ、それは無責任だ。難民である彼らはただ安寧の地を求めているのではなく、活路を求めているのだ。受け入れるのであれば、彼らにそのチャンスを与えることも義務となる。

日本でも受け入れの賛否をめぐっての議論がされはしたが、所詮隣の畑、と思っている人も多いだろう。難民をどう扱うかについての意見はさまざまであろうが、受け入れるならば彼らの人生に責任を負うということを理解せねばならない。

出典1出典2出典3

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