雨宮の迷走ニュース

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努力教信者の洗脳に負けるな。努力の本質は目標に近づくこと

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「がんばる力」が低い雨宮です。どうも。

「がんばる力」とは、目標に対してどれだけ労力を費やせるか……ではありません。「目標のためにどれだけのものを犠牲にして、消耗できるか」です。そういう意味で使います。

 

がんばる力が低い人は、怠惰ではありません。「努力」に対する体力が低いのです。そういう人は、そそくさと競争社会から離脱したほうがいいです。

 

努力教信者が絶対視する「がんばる力」

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努力教というのは、努力すればなんでもなる、がんばれば成し遂げられる、という根性論を信じる考え方です。もちろん一理あって、目標に対し労力を費やせない人は、なにも成し遂げられません。 

 

でも努力なんていうのは、自分のペースでやればいいものです。他人に強制されるものでも、他人が推し量るものでもないはずです。

それなのに、努力教信者は、他人にも「がんばれ、努力しろ」と言ってきます。それは叱咤激励ではなく、努力教の洗脳です。

 

「がんばる力」は人によってちがいます。

 

人はみんな、「限界」があります。精神的にも肉体的にも。その限界は、人によってそれぞれです。すぐに潰れる人もいれば、いくらでも立ち上がれる人もいます。

 

それでも努力教の信者は、「根性でなんとかなる。できないは甘え。自分を追い込んでこそ成長できる」と力押ししてきます。そう言われると、がんばる力が低い人は、「自分は根性はなくて甘えてて成長できないんだな……」って自己嫌悪になりますよね。

 

そうじゃないんです。努力の方向性は、「自分の能力を伸ばし、目標に近づくこと」です。どれだけの犠牲を払うかでもなければ、どれだけ苦労をするか、でもないんです。

 

「がんばる力」が低い人間が知るべきこと

わたしは、「がんばる力」が低い人間です。プレッシャーに弱いし、ストレスがすぐに胃にくるタイプです。「こいつには負けたくない」という対抗心よりも、「自分のペースでやっていきたい」という人間です。

 

そういう、「がんばる力」が低い人は、努力教と関わっちゃいけません。潰れます。

 

努力教信仰者の洗脳に耳を貸すな

努力教信仰者は、「がんばれ~がんばったらなんでもできるぅ~」と洗脳してきます。「自分を追い詰めてこそ成長できる」「もっと自分に厳しく」みたいに、自己否定しろと強制してきます。

 

競争社会でピラミッドの頂点に立ちたい人は、自分を追い詰めて這い上がるハングリー精神が必要でしょう。

 

でも「がんばる力」が低く、自分を追い詰めて成長するよりも、自分の心地いい環境でのびのびやりたい人もいます。そういう人にとって、努力教というのは悪魔崇拝みたいなものです。絶対に関わっちゃダメなやつです。

 

できる人からの刺激や、現状に満足しないための自己反省は必要です。でもそれは、必ずしも自分を追い詰めることとイコールではありません。努力教に洗脳されると、犠牲の多さやしんどさ=成長だと勘違いします。「がんばる力」が低い人は、そのなかでは成長できません。

 

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がんばる力=犠牲の多さではない

「あー昨日マジ寝てないわぁ」「俺、残業で家に帰れてねぇわw」みたいな発言をする人は、努力教の信者です。犠牲を払ってしんどい思いをしている自分カッケーってやつです。近づいちゃいけません。努力教に勧誘されます。

 

努力っていうのは、どれだけ犠牲を払ったかではないし、どれだけしんどい思いをするかではありません。目標に向かって進んでいくことです。そこには、「苦難」や「忍耐」を必ずしも必要としているわけではないんです。

 

努力の方法は、人によってそれぞれです。人に負けて打ちひしがれて、そこから這い上がることで目標に近づく人もいます。自己否定をし続けて、ボロボロになっても潰れずに犠牲を払い続けることで、目標に近づく人もいるでしょう。

 

そういう「がんばる力」が高い人は、どんどん犠牲を払って、目標に近づいていけばいいんです。でもそれじゃ潰れちゃう人は、そういう方向に努力する必要はありません。

 

努力の本質は、あくまで「どうやって目標を達成するか」であって、「どれだけつらい思いをするか」ではないんです。

 

目標に向かうことが努力だ

資本主義社会は、基本的に競争で成り立ってます。カネを持ってる人が勝つ仕組みになっています。ナンバーワンになるためには、競争に勝ち続けなくてはいけません。

 

でも、みんながナンバーワンになる必要はありません。というか、なれません。ナンバーワンになれるのは、その分野でひとりだけですから。

 

あなたの目標がナンバーワンになることなら、しんどい思いをしてもそれを跳ね除けて、まわりを蹴散らしていかないといけません。でもそうじゃないんなら、別に誰かに勝つ必要はないわけです。

 

わたしは文章を書いてお金をいただいています。自分の文章で、だれかになにかを伝えたい。だれかの背中をそっと押したい。「こういう考えもあるんだな」って新しい気づきを与えたい。「こういう生き方もありだな」って気持ちを楽にしたい。そう思って文章を書いています。

 

それなら、ナンバーワンになる必要もないし、自分を追い詰める必要も、だれかを追い落とす必要もないですよね。わたしの努力の方向性は、「自分の理念に基づいた、いい記事を書くこと」です。

 

それを「逃げ」っていう人がいるかもしれませんが、努力は目標があってこそです。自分のペース、自分のやり方で目標に近づいてい行けばいいんです。

 

あなたは、なんのために努力をしますか? その方向性は、本当に自分にあったものですか? まわりの努力教信者に洗脳されて、ムダな自己犠牲を払っていませんか?

 

自分の目標だけを見ましょう。自分が成長すれば、それでいいんです。

そんなことを考えながら、今日も「がんばって」いい記事を書いていこうと思います。

 

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