ヘルプマークは「電車で絶対座れる権利」を保障するものじゃないよ

スポンサーリンク

みなさん、ヘルプマークってご存知ですか?

人工関節を使っている人や内部疾患がある人など、「外見ではわかりづらいけど場合によっては支援が必要です」というのを伝えるマークのことです。

 

このヘルプマークにはいろんな意見がありますが、わたしが思っていることをまとめておきます。

 

ヘルプマークの認知度はまだ高くはない

f:id:amamiya9901:20180324175522j:plain

ふたたび、ヘルプマークが話題になってる。定期的にツイッターで拡散されるんだよね、これ。

 

 

他人を怒鳴りつけるような人間がマークを知ってたら引き下がるのか?という疑問はさておき。

 

ヘルプマークをつけてるのに誰も席を譲ってくれなかった、もしくは席を譲れと言われた。 だからもっと認知度を上げて配慮してもらうべき。

こんな意見を見かけることは多い。

 

でもわたしは、「ヘルプマークをつけている人に対してまわりが当然のように配慮をして席を譲るべき」っていう考えが好きじゃない。

 

極端に言えば、「なんであなたは配慮しないんですか?クズですか?」みたいな圧力をかけてる感じがするんだ。

配慮をお願いする側なんだから、「こういう事情なので席は譲れません」「譲ってください」ってコミュニケーションで解決すればいいだけじゃないかなーって思う。

 

言葉なしに「求められている配慮」はわからない

 ひどい人間だと思われるかもしれないけど、他人の事情なんて知ったこっちゃない。マークひとつじゃ、どういう配慮を求めてるかなんてわからないんだよ。

 

義手の人やパニック障害の人にも席を譲った方がいいの?譲ってもらえたら楽になるの?

赤の他人に、そんな判断ができるわけがないよね。だから、どういう配慮をしてほしいのか言葉にすべきって思ってる。配慮する側だって、そっちの方が楽だもの。

 

そういうを説明せず、「配慮」=「席を譲ること」ってなるの、ちょっとちがうんじゃないかな。

 

配慮してほしいなら「マークを知っとけ」って広報活動だけじゃなくて、「こういう事情があるからこうしてくれませんか」っていう説明をするのも大事だよね。

事情説明しても理解してくれない人は、ヘルプマークを見ても手助けしないと思うぞ。

 

 

 

ヘルプマークが役立つ非常時と強制的な配慮

ヘルプマークに、緊急連絡先や「意識を失ったらこの薬を飲ませてください」という注意書きがあるなら、非常時に役に立つ。

耳が聞こえないから警報が聞こえない人もいるし、実は義足で早く走れない人もいる。マークがあれば、緊急非難のときまわりが気を遣えるかもしれない。

 

ヘルプマークが役に立つ時、必要になる時があるのはわかる。

なにも、ヘルプマークをやめろ!って言いたいわけじゃないんだ。

 

でも、自己申告でもらえるマークをぶらさげてるだけでみんなが優しくしてくれると期待するのは、ちょっと甘いと思う。

 

配慮をお願いする側なのにそれをせず、なんで「配慮してもらえなかった!!」言えるのかが不思議なんだよね。(ツイート主の方を批判するわけではない)

 

「弱者であること」を盾に、相手の気持ちを慮らないで配慮を強要するのは、あんまり品が良くないと思う。

 

わたしもヘルプマークを「つける」側だけど

この件について改めて書いたのは、わたし自身が「席を譲ってもらいたい側」だから。

 

わたしは疲労過多になるバセドウ病をわずらってる。体が常に全力疾走してるのと同じような状態になるから、ちょっと階段を上り下りしただけで息切れするし、一時は手足の震えもあった。

 

でね、この前一時帰国して優先席に座ったとき、目の前にマタニティマークをつけた人が立ったことがあったんだ。明らかに座りたそうなオーラを出して。

でも、なにも言わないの。鞄をいじってマークのアピールをしてくる。お腹をさする。でも、なにも言わない。

 

あのね、わたしは病気なんです。

 

赤の他人に配慮を求めるくせに、他人にも事情があるかもしれないって想像しないのかな?って思っちゃって。

 

あなたも大変だろうけど、わたしも大変なの。座りたいなら、自分で口に出してよ。そしたらわたしも、「わたしにも事情があるんです」って説明するからさ。

 

なんて経験があったわけです。

 

 

 

ヘルプマークはあくまで配慮をお願いするもの

 

たとえば、道端で地図を広げてきょろきょろしている人がいるとするよね。その人は明らかに道に迷ってる。

 

それを無視して通り過ぎる人は、「配慮してくれないひどい人間」なの? その人だって、めちゃくちゃ急いでるかもしれないのに。「道に迷ってるから道を教えてください」って自分から言うべきじゃないの?

 

もちろん、自分から言いづらい人、状況もあると思う。毎回事情を説明するのがイヤな人だっているかもしれない。

 

でも事情を伝えないなら、そのぶん理解してもらえなくても当然じゃないかな。知らない人なんだもん、文字通り他人事だよ。

 

話してもわかってくれない人はいるだろうけど、そういう人はマークを見せてもなんとも思わないでしょう。

そういう人を黙らせたいんなら、医師の診断書つきの申請制マークにして、障害者手帳ばりの地位に格上げするしかないんじゃないか?

 

もう一度書くけど、ヘルプマークが悪い、つけている人がオカシイなんて思ってない。わたし自身席を譲ってもらって助かったことがあるから、座りたい気持ちもわかる。

 

ただ、「マークをつけてるんだから配慮してもらって当然」ってナゾの上から目線はちがうかなってだけ。お願いする立場だよね、わたしたち。

 

自己申請でなんの強制力もないものに、赤の他人の善意に期待しすぎるのは性善説が過ぎるんじゃないかなぁ。

日本はそういうマークがないと助け合えない社会だとは思わないし。っていうか思いたくないね。

 

ヘルプマークの電車での使い道

ヘルプマークはあくまで非常時の指標であり、日常生活において配慮するかは個人の考えによるもの。わたしはそう思ってる。このマークが自己申請である限りね。

 

もちろん気遣って席を譲ってくれる人がいたらうれしいことだけど、座席は基本的に早い者勝ち。それを曲げてまで席を譲ってほしいなら、自分で頭を下げてお願いするのが筋でしょう。

 

でも伝えるのって勇気が必要だよね。だから、お願いする時にヘルプマークを見せるといいんじゃないかなーって思う。これはフォロワーの方の意見なんだけど。

 

「(病名や症状が書いてある部分を見せて)こういう事情なんです。席を譲っていただけませんか?」って。

 

それならまわりから注目浴びることも少ないだろうし、無言のアピールするより譲りやすいし、なんだか平和な気がする。

 

「こういう事情で席を譲ってほしいんです」
「そうですか。どうぞ」
「どうもありがとうございます、とても助かりました」

 

こんなやり取りがふつうに行われる社会であってほしいなっていうのが、わたしの意見。

 

こちらからは以上です。

 

※4月19日追記

 

おすすめ関連記事

必要なのは配慮より理解。傷つく人がいる「かもしれない」論の茶番

新幹線の座席を倒すとき、声をかけるのがマナー?意味がわからない