「外国語ができる」と「外国語で飯を食う」はまったくちがうという話

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わたしはドイツ語がある程度できるので、「ねーねーこの単語ってどういう意味?」とか、「通訳お願ーい」って言われたりします。

最初はわたしも、ドイツ語ができる=翻訳・通訳もできるもんだと思ってました。が、「外国語で飯を食う」って、そんな甘いものじゃありません。

 

外国語ができる=外国語で飯を食える、ではない

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留学から帰って家具屋でバイトをしていると、結構な確率で「ドイツ語を活かした仕事をしないともったいないよ」と言われました。

でもわたしとしては、「語学力を使って仕事するのはそんなに甘くねーよ」と思っちゃうんです。

 

ドイツのアパレル店や飲食店、オフィスでちょこっと働いたりしましたけど、日常会話ができる=仕事ができるわけではありません。

当時わたしのドイツ語はレベルはC1(TOEIC換算すれば満点近く)だったんですが、それでもかなりキツイかったです。

 

大学のレポートを書いたとき、「自分はドイツ語できるぞーー!!」という自負が粉々に打ち砕かれましたねー。

 

C1レベルでもこんなもんです。翻訳者や通訳者みたいに「外国語で飯を食う」レベルになりたければ、「ネイティブに現地語を教えられるレベルの外国語への理解」が必要なんです。

 

その言語を「理解する」というむずかしさ

 

ドイツ語には、「わたしは砂糖じゃない」という表現があります。これは、「雨で溶けるわけじゃないから大丈夫」って意味で、雨でも傘を差さない人が多いドイツではよく使う表現です。

 

でも「傘差さないの?」に対して「砂糖じゃないもの」っていう返しを日本語に直訳すると、なんか嫌味っぽくないですか?気取ってるというか。

かといって「うん、傘は必要ないから」っていうのもユーモアに欠けるし……。

 

ざっくり意味をまとめるくらいならわたしにも出来ますが、一文一文を丁寧に翻訳・通訳するとなると、めちゃくちゃ大変なんですよ。

専門系の翻訳・通訳でいうと、そもそもぴったりくる日本語がなかったりしますしね。

 

しかも言葉は、日々変わっていきます。地域によってもちがいます。年代も影響します。

 

日本語でも「ネトゲ」や「自撮り」とか、比較的新しい言葉が使われるようになってますし、「食べれる(食べられる)」「すごい楽しい(すごく楽しい)」みたく、文法を無視した表現が一般的になってりもしてますよね。

 

言語で飯を食うためには、そういう背景も理解する必要があります。

要は、クッソ高度な仕事なのです。

 

 

 

外国語で飯を食えるのはスペシャリストだけ 

語学力で飯を食うためには、大前提として「日本人として超優秀な日本語能力」「ネイティブ以上にその言語を理解してること」が必須になります。

 

なぜネイティブ以上か?

理由はふたつあって、ネイティブは母国語を「意識的に」正しく使おうとしないこと、そして感覚的に理解できてしまうからです。

 

ネイティブとはいえ、ふつーに文法をまちがえたり、単語の意味をかんちがいしてたりします。

「失笑」って、思わず笑い出しちゃうことなんだって。「あきれて笑うしかない」ってのは誤解らしいです。知ってた?

 

外国語で飯を食うなら、「失笑」の本来の意味と、広まっているまちがっている意味、両方知らないとダメです。どっちの意味で使われてるか判断しないといけませんから。

だからネイティブ以上に、「正しく」言葉を使わなきゃいけないんです。

 

あと、昔ドイツ人の友人に、

「『向こう』と『あっち』は距離にしてどれくらいのちがいがある?」

「ザーザーとシトシトだと、雨量はどれくらいちがうの?」

と聞かれたことがあります。感覚で自然に理解できることも、外国人には理解できないのです。

 

でも外国語で飯を食いたければ、ネイティブと同じ、もしくはそれ以上の「言語感覚」を持たないと、本当の意味でその単語を理解することはできません。

 

後天的にこの両方を得るのは、かなり厳しいです。不可能じゃないけど、言語は生き物なので、辞書片手に机の上で勉強するのは限界があります。

 

「ちょっと外国語ができるから翻訳するゾ★」なんて甘かったですね~。ドイツ語の本は読めても、それを日本語にするのは超大変です。

 

外国語で飯を食うことは全責任を負うこと

 

だれとは言わないんですが、「海外在住の翻訳者です!」と言ってる方が、ブログでちょこちょこ英語ミスってました。アニメや映画の翻訳とかも、結構ひどいです。

 

「ネイティブじゃないんだから完璧を求めるな」って声もありそうですが、それはちょっと無責任ですよね。

それをナリワイにしたのは自分なんですから、まわりを納得させるクオリティは保障できないと。まぁ「完璧」はムリだとしても。

 

そしてわたしが「外国語で飯を食う」ことに関してもっともハードルが高い!と感じたのは、「相手が真偽を確かめられない」ところです。

 

アニメの字幕に誤訳があっても、それを見ている外国人は、それが「まちがい」だとは気づきません。それどころか、訳者から納品されたテレビ会社やサイト運営者ですら、その訳が正しいかは判断できないでしょう。

 

すっごいプレッシャーですよね。だから「ネイティブ以上にその国の言語を理解している」必要があるわけです。そうじゃないと絶対ミスるからね。

 

というわけで、外国語で飯を食うって、思ってる以上に大変でしんどいです。

 

外国語で飯を食いたい人へ

海外に住んでる以上、たぶん多くの人は一回くらい、「語学で飯を食う」ことを夢想したことがあるんじゃないかと思います。

 

それでもたいていの人がちがう道を選んでるのは、もちろんちがう夢を見つけたからってのもあるだろうけど、第一に「想定外にハードルが高かった」からだと予想してます。

 

「留学してたからいける」とか、「海外で暮らすなら言語系の仕事はできるだろう」とか、そんな気持ちでは「外国語で飯を食う」のはむずかしいですよ。

なんなら一度、アメニモマケズを翻訳したり、ニュースをそのまま外国語で通訳してみてください。たぶん、呆然とするだけでなにもできない人が大半です。

 

でもわたしが言いたいのは、「お前じゃできない」ということではなく、「すっげぇ大変な仕事だから、本気で目指すなら本気でやるといいよ」ってことです。

 

外国語で飯を食うには、たとえば言語学に手を出したり、現地の過去の文学作品を原文で読んでいくつもの翻訳文を比較したり、そういう努力をする必要があります。(方法はそれぞれだけど)

 

でもそのぶん、「本来なら伝わらないコトバ」を自分が伝えるという喜びは計り知れません。(経験済み)

 

外国語ができることと外国語で飯を食うのはまったくちがうので、そこらへんは混同しないようにね!!んじゃ!!

 

 

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