イケハヤ『武器として書く技術』から学ぶライターの心構え5訓

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先日買ったkindleで本を読み漁っている雨宮です。さっそくイケハヤさんの『武器として書く技術』を読んでみました。

 

文章の技術に関する内容は、正直そこまで目新しいものではありませんでした。でも「文章を書く心構え」の部分は、学ぶところがたくさんあります。

 

「ライターよ、自分らしくあれ」。この心構えは、ライターに必須の考え方です。

 

『武器として書く技術』から学ぶ心構え

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人間だれでも、嫌われたくないものです。批判されたり嫌われたりするよりは、共感されて好かれる方がうれしいに決まってます。

 

でも、「批判されても嫌われても伝えたい!」という心意気がなければ、記事を書く意味はありません。

イケハヤさんの著書、『武器としての書く技術』では、あたりまえだけどとても大切なライターとしての心構えを教えてくれる本でした。

 

断定できない主張は価値がない

わたしは、「みんなは知らないけどわたしはこう思うよ!」ってスタンスなので、「わたしはこう思います」という言い回しを多く使っています。それは言い方を変えれば、「あくまで個人の意見ですよ」と予防線を張っているだけです。

 

「断定するな!」などの批判が来たらこっちのものです。少なくとも読者の感情を動かした意味のある文を書いたことになるわけです。(略)言い切れないようなことは、言う価値もありません。

 

「たしかに……」と思わざるをえませんでした。

 

2週間で10万回以上読まれた『日本人の私が、どうしても受け入れられなかった日本文化5つがこれだ』という記事では、「日本人はこうだ」と断定している部分が多いです。

 

それに対してそれなりの批判コメントがあって、「ああ、言い切るべきじゃなかったんだなぁ」と反省してしまいました。

 

でも考えてみれば、わたしのなかでそれは事実としてあるんだから、言い切ってしまえばいいんです。それで「言い切るな!」と言う人に対しては、「わたしのなかではこれは事実だ!」と堂々してればいい。

 

「批判に耳を貸せ!」という人もいるけど、それで自分がブレたりすぐに主張を変えてしまったら、主張の価値がなくなります。

 

本音を誠実に語らないと伝わらない

そう考えると、この部分もとても納得が行きます。

 

嫌われることを恐れてことばを引っ込めるのは、誠実な態度とはいえません。(略)

本心を語った結果として批判を浴びたり、嫌われたりすることは、なんら恥ずべきことはありません。むしろ恥ずべきは、自分の言いたいことをしまいこみ、他人に気に入られようと媚びへつらいながら生きることです。

 

媚びへつらってチヤホヤされるために文章を書いてるわけじゃありません。誠実な文章というのは、他人を不快にさせない文章じゃない。自分に嘘をつかない文章です。

 

中途半端に顔色をうかがった文章はだれの心にも残らないし、書いていて意味のあるものではありません。

 

言いにくいことを言ってこそ価値がある

「尖ってる」と言われることがたびたびありますが、自分としては誰かを煽ってがんばって尖っているつもりはありません。本心を書いています。だから「尖っている」と言われると、「みんなどんだけ自分押し殺してるんだよ……」とびっくりします。

 

「これは本心なんだけど、ちょっと言いにくいな……」と思えるようなことばは、実は多くの人が「誰かに言ってほしい」と願っていることでもあります。(略)

その発言は、現状を変えるための議論を起こすきっかけになり、多くの人から感謝され、読者の心を癒す可能性も秘めています。

 

これはわたしも体験していることで、SNSで大拡散された『限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会が辛い』 は、すごく多くの共感コメントをいただきました。

 

多くの人が、「しんどい」「きつい」っていう思いを押し殺していたんでしょう。だから、「限界までがんばらなきゃいけない」という風潮を息苦しく感じていて、この記事に共感してくれた。

 

本音を誠実に語れば語るだけ批判がくるでしょうが、そのぶん強烈に共感してくれる人がいます。その人たちに誠実でいるためにも、自分の本音に対して遠慮してちゃダメなんです。

 

 

 

批判ゼロの記事はおもしろくない

エゴサーチなんかをしていると、批判コメントも結構見かけます。落ち込むこともあったし、腹立つこともありました。でも文章っていうのは、賛否両論あってこそ「だれかに届いた」と言えるわけです。

 

本心から語った言葉が批判を浴びたとすれば、それはむしろ、喜ばしいことです。なぜなら、あなたが語ったその言葉は、周囲の人々には理解できない「新しさ」を持っているということだからです。(略)

人の心をざわつかせるということは、あなたの存在、あなたの表現が、鑑賞者の世界に影響を与えることに成功している、ということです。

 

毒にも薬にもならない文章は、なにも残しません。良くも悪くも刺激を与えられるからこそ、「おもしろい記事」なんです。

 

自分の個性を爆発させるのが文章

ブログが最たるものですが、文章って個性が思いっきりでますよね。デザイン・文体・テーマ……みんなちがいます。だからおもしろいわけで、似たり寄ったりの内容ならまったくおもしろくありません。

 

自分の思ってることを書きたいからブログをやっているのに、読者に遠慮してたら本末転倒です。

 

言葉を濁すのは、叩かれるのが怖いからです。個性を発揮するのを、恐れているからです。会社や学校と違い、ブログでは、個性的であることが許され、さらには歓迎されます。

 

わたしはこれをよくやってしまいます。「あくまでわたし個人の意見ですよ」「こういう人もいますよね」みたいな。

それは「理解のある人間」を装って叩かれないように予防線を張っているだけです。はい、張っていました。

 

でもそれじゃつまらない。それじゃ伝わらない。文章なんてのは、もっと自由で個性的であるべきです。

 

ライターよ、自分らしくあれ

この5つの心構えをまとめると、「ライターよ、自分らしくあれ」ってことになります。

煽ったり炎上させたりってのはまたちがうけど、他人に遠慮して見向きもされない記事を書くよりは、賛否両論が巻き起こるインパクトある記事の方が価値があります。

 

批判コメントに落ち込む。

叩かれないように主張をうやむやにしてしまう。

本音の8割しか書かずに抑えてしまう。

 

こういうのって、文章を書いていたらだれにでも経験があるでしょう。でもそれじゃだれにも届かない。つまらない記事になる。ライターは、自分らしさを文章で爆発させないと、存在価値はないんです。

 

小心者だからひよっちゃうことが多いけど、そういうときは『武器としての書く技術』では、あたりまえだけど』を読み返して堂々自分の主張を貫きます。そして良くも悪くもだれかの心を刺激する文章を書きます。

 

イケハヤさんアンチの人でも、文章を書いている人ならおススメの一冊です。

 

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