帰属意識が強い日本人が抱く「幻想」と芽吹く「多様性」

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日本に住んでいる人の大半は、生まれも育ちも日本で日本語を母国語にし、自分自身を「日本人」だと思っている日本人です。だからこそ「日本人」という強い自意識があり、「日本人とそれ以外」で線引きをしてしまいがちです。

 

その帰属意識は日本になにをもたらし、どこへ向かうべきなのか。わたしなりにちょっと考えてみました。

 

 

 

帰属意識が強い日本人が持つ日本目線

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日本にいたとき、「みんな黒髪であること」や「みんな日本語を母国語としていること」に、まったく違和感を持っていませんでした。

日本に対する帰属意識が強かったんです。

 

ちなみに帰属意識というのは、「集団の一員だ」という意識です。「〇〇社の人間です」「同じ高校出身のよしみ」といった感じで、日本人は帰属意識が強いですね。

 

「日本」への帰属意識が強いからこそ、日本は多様性を受け入れづらい土壌になってるんだと思います。

 

「日本人」という帰属意識が強い理由

最近日本には外国人労働者が増えていますが、とはいってもやっぱり大多数が日本人です。だから基準がすべて「日本人」になります。

 

受験や就活では黒髪であることが「マナー」なので、地毛が明るい子はみんな、わざわざ黒に染めます。 

多民族国家では、「髪の色を変えないと就職できない」なんて即デモが起こりそうな案件ですが、日本は黒髪が大前提なので、「そういうもんだ」と受け入れられます。

 

また、日本人は英語が苦手な人が多く、日本語しか話せない人の割合が高い国です。コミュニケーションのほとんどが日本語なので、さらに日本人としての帰属意識が強くなります

 

しかも島国で地理的によその国からも離れている。鎖国もしていた。

 

日本は物理的にも言語的にも精神的にもほかの国と離れているので、「日本」に対する帰属意識が強くなるのです。

 

「日本人なら理解できる」という幻想

そうやって日本人としての帰属意識が強いので、「同じグループに所属している日本人ならわかりあえる」っていう思い込みをしてる人が多いような気がします。

 

海外には、右も左もわからない新参海外移住者を狙ったあくどい日本人もいます。でも「日本人なら安全」って考えてる人がいるから、カモにされます。

 

日本人だから同じ常識を持っているだろう。
日本人だからわたしのことも理解してくれるだろう。
日本人だから悪い人ではないだろう。

 

海外に出たことがなくて、日本語以外の語学が堪能な人が少ないから、自然と「日本人なら安心だ」って考えちゃう。

「日本人」といってもいろんな人がいるわけだけど、見た目や言語、文化的背景の大部分が共通しているから、勝手に安心するんです。

 

日本人は、「日本」という集団に所属している自分に対してほかの「日本人」も優しいはずだ、わかりあえるはずだ、みたいな幻想を持ってる人が多いです。

 

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帰属意識の外にある「いろんな人がいる」という多様性

わたしもそんな「日本人」のひとりだったんですけど、ドイツに来て、「いろんな人がいる」っていう当然の多様性に改めて気づかされました。

 

たとえばドイツ人といっても、
・両親はトルコ国籍
・家庭内の言語はイタリア語
・日本人と中国人のハーフ
みたいな人がたくさんいるわけです。

 

見た目が完全にアジア系の人に「どこから来たの?」と聞いたら「両親はベトナムだけどわたしは生まれも育ちもドイツよ」と言われたり、「それは僕の両親の話?ドイツのどの街から来たかってこと?」と聞かれたり。

 

いろんな国から来た人が暮らしていたら当然のやり取りなんですけど、日本でこういった会話は一度もしたことがなかったなぁと気づきました。

 

だからドイツだと、「みんな同じ」が不可能であり、「ドイツ」という国に所属している帰属意識がすごくあいまいになります。結果的に「いろんな人がいる」ということを認めるし、「話し合って解決しよう」って考えになります。

日本のように、みんな共通の空気を作り出せるほどの共通点がないんだから、当然ですね。

 

日本で芽吹く「多様性の許容」 

最近日本では「多様性を認めることの大切さ」が叫ばれています。でも同じ価値観や遺伝子を持つ人が大半の日本では、やっぱりむずかしいと思うんですよね。

だって、多様性なんか認めなくともやっていけるもの。

 

多様性を認めるっていうのは、やっぱり目に見えて「いろんな人」が必要なんです。目が青い人、肌の色がちがう人。そこに文化背景や宗教背景がちがい、ちがう言語を使う人が加わる。

 

そういった人がいるから「多様性は大事」って考えになるし、そうじゃなければ「多様性」なんて所詮、絵に描いたモチです。

 

日本では、大半の人が「わざわざ多様性を認めなくとも日本という国に帰属して問題なく暮らせる」ので、正直わざわざ多様化させなくても事足ります。

だから日本では、「いろんな人がいる」って大前提が育たず、「少数派に合わせなくてもいいんじゃないか」って風潮になるんじゃないかな。

 

自分が日本という郷に従っていれば、安心・安全に過ごせるわけですし。

そもそも日本の価値観からハミ出す人自体が少ないから、その人を枠内に押し込めばいいだけの話ですからね。

 

でも同じ文化背景や言語に親しんでいたとしても、いろんな生き方をして、できればそれを認めてほしいって思ってる人はたくさんいます。

 

「みんな同じ」を出発点として「そこからはみ出た人を認めてあげよう」じゃ、多様性なんてのは限界がある。

あくまで「みんなちがう」を出発点として「だから認め合おう」って姿勢じゃないと、いろんな人を受け入れるのはむずかしいでしょう。

 

つまり、帰属意識(自分が所属している集団)の外にいる人たちにも目を向けましょうねって話です。

 

10年後くらいには、仕事のために地毛を染めなきゃいけないような社会ではなくなってるといいなぁ、と思う雨宮でした。

 

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