昨日の『限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会が辛い』という記事が、3万回以上読まれています。
ツイッターの拡散のおかげなんですが、雨宮のツイートは合計15リツイートくらいです……ッ!
限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会が辛い https://t.co/fsQ8WyJqUT
— マッキー氏(油性) (@magic_mackee) 2016年10月2日
この記事を日本国民全員に読んでほしい
日本人は礼儀正しくマジメだとか言われますが、他人にめちゃくちゃ厳しいです。他人、というより、「大多数の枠に入れなかった人」に対してすごく冷たい。https://t.co/Zkm0banqmV
— 星野 良輔 (@hossy_fe_ap) 2016年10月2日
ほんとそれですわぁ……・
「過労死してはじめて「がんばってたんだね……」と同僚が涙を流し、イジメに耐え切れず自殺した子どもの話を聞いて「苦しんでたんだね……」なんて言われる。」/ 限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会が辛い https://t.co/wqe5y9ceJZ
— yunishio (@yunishio) 2016年10月2日
ボロ雑巾になってはじめて認められる日本社会。皆で消耗戦たたかってどうするのよ、と。まったく同意。/限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会が辛い https://t.co/qfG40xGCj2
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2016年10月3日
ありがとうございます! すごいびっくりした!
今日はその続編で、「がんばれ」という言葉の無責任さについて思うところを書いてみます。
無責任な「がんばれ」は罪だ
ドイツに来て、ドイツ語や英語に訳せない日本語がたくさんあることに気づきました。「お世話になっております」とか、「大変恐縮ですが」「もったいない」とか。
そのなかの1つに、「がんばれ」があります。
「がんばる」だと、I´ll tryとか、I´ll do my bestってニュアンスが近いと思うんですけど、「がんばれ」だとなかなかピンとこない。
無責任に「がんばれよ」と言うのって、日本独特なものだと思います。
なんで簡単に「がんばれ」と言えるの?
いつもふしぎに思ってたんですが、なんで多くの日本人は、簡単に「がんばれ」って言えるんでしょう。
「昨日仕事でミスっちゃって」「次がんばればいいじゃん」
「起業したいんだよね」「いいね、がんばれよ」
無責任だなぁ……。なんでこんなにがんばらせたいんだろう。全くわかりません。
結果>努力?努力>結果?
昨日の記事に関するコメントで、「結果が大事だから努力したかは関係ない」という意見もちらほら見かけました。そうだね、確かにそうだよ。
でも、だったらなんで、「がんばれ」って言うの?
結果を求めてるなら、「がんばれ」じゃなくて「期待してる」とか、「しっかりやれよ」って返答になりません?
結果主義なら、努力は関係ありません。
でも結果主義を掲げる人だって、自分で「努力は関係ない」って言っておきながら、他人に「がんばれよ」と言ったり、上司に「がんばります」って言ったりしませんか?
結局「努力でどうにかなる」って思ってるからこそじゃないですか?
努力をしないのは甘えかもしれないけど、「努力してるかどうか」なんて誰がどうやって判断するんでしょう。
「応援してる」じゃダメなの?
「がんばれ」って、どうにも突き放してるように思えるんですよね。あくまで他人事って気がします。なのでわたしは、基本的に「がんばれ」とは言いません。「応援してるよ」って言うようにしてます。
がんばれっていうのは、背中を押すイメージ。でも押す力が強すぎると、それは暴力になります。
応援してるっていうのは、後ろの方でにこにこ立っていてくれる感じ。「後ろにいるから大丈夫だよ」って雰囲気。わたしはそう思ってます。
英語だと「がんばれ」はDo your bestかな? でも「がんばれ」より「応援してる」ってニュアンスです。
「がんばれ」って言われて嫌な気持ちになる人はいないでしょう。でも、しんどい気持ちになる人はいると思うんです。
どうやってがんばればいいの? どれくらいがんばればいいの? それを明確にせず、他人に「がんばってね~」と丸投げするのは無責任すぎませんか?
「それくらい自分で考えろ」って言うんなら、最初から「がんばれ」なんていわなきゃいいじゃん。
言った側に悪意がないのはわかります。でもその無責任な「がんばれ」を100人に言われたら、それはもう努力の強制です。潰れる人もいます。
だったら「応援してるよ」の方がいいと思います。だからわたしは、人に「がんばれ」とは言いません。
人間の心のバランスは簡単に崩れる
トラックに轢かれたら体がぺちゃんこになるように、尋常じゃない負荷がかかれば心もぺちゃんこになります。
わたしも中3の時、心がぽっきり折れました。それまで自分は「ごく普通」だと思っていたんですが、些細なことの積み重ねで簡単に折れたんです。
この前、学生時代の友人から久々に「いまアメリカだよー♪ バスケやってる!」と連絡が来ました。その子はバスケなんてやってなかったし、それ以外の内容も支離滅裂だったのでほかの友人に確認したら、「心の病気で休職してる」ことを聞きました。
その子はクラスの人気者で、太陽みたいな子でした。だからすごい驚いて、それと同時に「人間の心って簡単に壊れるんだな」と思いました。
そんなことがあってから、他人に「がんばれ」って言うのが怖くなりました。
「がんばれ」って言えば笑って「ありがとう」って答えるでしょう。でも実はもう「がんばりすぎ」の状態かもしれない。
そう思うと、「がんばれ」という無責任なプレッシャーは罪だとすら思います。
「考えすぎ」って言われそうだけど、むしろ考えなしに他人に「努力しろ」と無意識でも押し付けられる方がヤバイと思う。
努力の強制で人は壊れるよ
努力なんてのは、他人のためにするものではありません。目標を達成したい、結果を出したいから労力を使うんです。
だから他人に認められる必要はないし、そもそも他人が評価できるものじゃない。
人間は、びっくりするくらい簡単に壊れます。で、そういう人の多くが「もっとがんばらなきゃ」って思ってます。がんばりすぎてるから壊れてるのに。
たかが「がんばれ」の一言。悪意のない、無邪気な一言。
でもその一言を何人もの人に言われることによって、身動きが取れなくなって潰れる人もいます。悪意ない努力の強制は、その人を追い詰めることだってあるんです。
それは、その人が弱いからですか? 甘えてるからですか? あなたの心だって、小さなきっかけで簡単に壊れますよ。
無意識に人に「がんばれ」と言ってる人は「その人はもうがんばれない状況かもしれない」ということを考慮に入れるべきだと思います。
自分ができるからって他人もできると思い込むのは、遠まわしに誰かを追い詰めます。
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