2020年東京オリンピック開催ということで、最近は中高生アスリートが注目されていますよね。
スポーツに微塵も興味がないわたしですが、そういった番組や記事ではしょっちゅう、「強制英才教育を、親子二人三脚の美談」として取り上げています。それがもう気持ち悪くて、背筋が凍ります。
親子二人三脚の美談は、虐待ではないのか
「次世代を担うアスリート」特集では、かなりの割合で、「子どもを支える親」も取り上げられます。それが「栄養満点のお弁当」や「練習後のマッサージ」なら、ほほえましいでしょう。
でも、一部の熱血パパ・ママは、子どもの意思に関係なく、自分の夢を勝手に子どもに押し付けます。
物心つく前からラケットを握らせて体が出来ていない子どもに練習させたり、右も左もわからない5歳の子どもに「もっと強くなりなさい」と叱責したり……。
そんな場面を、部外者は「親子二人三脚」と称し、「一緒にがんばってきたんだねぇ。すごいねぇ」と称賛します。親の努力があったから子どもが結果を出せたのだ、とでも言いたげに。でもそれは、本当に褒められるべきことなんでしょうか?
わたしにとってその「親子二人三脚」とやらは、子どもの人生を支配して思い通りにしたい、親による虐待にしか思えません。
親が子どもの人生を決めるのは間違っている
特集される子どもっていうのは基本的に、ある程度育成に成功していています。だから特集されるんだろうし、美談にもなる。
子どもも成功してるから、親への感謝を述べるし、親は自分のやり方が正しかった、子どものためになったと確信します。
これを歪んでるって思うのは、わたしだけでしょうか。
「子どものために」と行った教育でも、そこに子どもの意思がなく、それが過剰だった場合、それは親の自己満足でありエゴであり、場合によっては虐待じゃないですか?
「愛情」は免罪符にはなりません。自分で選択できない年齢の子どもの人生を勝手に決めるのは、罪深いことだと思います。
特集されてる子たちのようにある程度成功したならまだしも、「親に敷かれたレールに無理やりのせられたけど成功できなかった」子どもたちもたくさんいます。
子どもの意思を無視して、小さいころから強制英才教育を施した、有名選手や芸術家の親は時折、「優秀な教育者」扱いをされます。子どもの人生をゆがめた親が、なぜ我が物顔で教育論を語ってるんだろう。怖いです。
歪んだ英才教育は子どもの人生を狂わせる
「親による英才教育によって、物心つく前からラケットを握っていた〇〇選手」とか、明らかにおかしいじゃないですか。
第三者が子どもにそんなことさせてたら問題でしょ? 親だから許される理屈なんてあるの?
欧米の英才教育って、親がカネを出して専門家の教育を受けさせるイメージがあります。でも日本はそういった環境がないからか、親が子どもに英才教育を施そうとしている印象なんですよね。
親が専門家ならわからんでもないけど、「甲子園を目指していた弱小野球部部長」が「子どもをプロ野球選手に!」って野球を朝から晩までやらせてどうすんのって感じです。
実際、親の影響を受けて大成したスポーツ選手もいるでしょう。でも、大成したからといって、親が勝手に子どもの人生の選択肢を奪っていいことにはなりません。
日本で子どもは「親の所有物」?
日本は、「子どもは親に従うべき」という風潮がめちゃくちゃ強いです。子どもはいつまでたっても子どもであり、自立した人間としては見られないんでしょうね。あくまで「親ありきの子ども」みたいな。
わたしは、「海外に行くのに親は反対しなかった?」とか、「フリーランスなんて親がよく許したね」なんてしょっちゅう聞かれました。
「子どもの人生を親が決めること」「子どもが人生を選ぶ際には親の許可が必要」という認識があるんでしょうね。
「子どものためを思って」と言えば、どんな理不尽な親の言い分も、子どもは受け入れるべきであるとされています。それを受け入れなければ、「親不孝」になります。
子どもだってひとりの人間なのに!
小さい子どもにとって、父ちゃん母ちゃんはすべてです。親が「やれ」って言ったらやるし、うまくできて褒めてくれるならがんばります。そういうものです。
で、強制英才教育を受けることにより、子どもの人生の選択肢は、圧倒的に狭まります。だって親にはその分野のことしか教わらなかったわけだし、場合によっては進学先なんかも決められてるわけですから。
わたしにはそれが虐待にしか思えないんだけど、日本では「親子二人三脚」という美談になります。
それがめちゃくちゃ気持ち悪いし、子どもの人権無視として問題にならないのが不思議です。
子どもだってひとりの人間である認識
娘の結婚相手が日本語を話せない外国人だからと親が反対して破談、公務員になってほしい親と音楽家志望の子どもが衝突、建築学科に受かったのに親が勝手に医学部入学の手続きを進めてた……。
どれもわたしの身近で起こったことです。ちょっと意味がわからないです。子どもにも意思があり、自分の人生があり、幸せを模索する権利があるのに、なにこれ。
お金を出すのが親なら話し合いは必要だけど、親が子どもの人生を勝手に決めるのはどう考えてもおかしいです。
小さい子どもに自分が期待する人生を押し付けておいて、「親子二人三脚の美談」にするのは絶対にまちがってる。
親が子どもを導くこと自体が悪いとは思いません。子どもには野球をしてほしいから週1のクラブに通わせたとか、子どもに音楽の才能を見出して有名な先生のところに通わせたとか、そういうのはアリだと思います。
子どもに「機会」を与えるのは親の仕事。でも人生を決めつけてそれ以外の選択を許さないのは、一種の虐待じゃないですか。
これからオリンピックに向けて若いアスリートたちが取りざたされるでしょう。子どもの意思を無視した親のエゴを、美談にしないでほしい。あくまで子ども自身が、いくつもある選択肢から自分で選んだうえでその道を進んでてほしい。そう思います。
子どもは親の所有物ではなく、意思のあるひとりの人間です。子どもの人生から選択肢を奪う、まちがった強制英才教育が美談にならないよう祈ります。