「ライターになるぞ!」と宣言して、もう丸2年。この2年間のなかで「やらかした……」と思うことはいくつかあるけど、そのなかでも、とくに反省していることがある。それは、「同じ土俵で語るべきではないモノゴトを並列したこと」だ。
背景がちがう複数のモノゴトを同じ判断基準で語るのは、フェアじゃない。それに気づいてからは、自分なりに「フェアでいること」を心がけるようにしている。
(できているとは言ってない)
光を浴びる「表」と、見逃されがちな「裏」
わたしは海外在住ということで、ドイツで思ったこと、日本について考えたことなどを書いている。最初はやっぱり「ドイツが好き」という気持ちが先行していたから、ドイツ基準で日本について書いていた。
でもドイツ在住歴を重ねていくうちに、自分が魅力だと思ったドイツの制度や特徴が、必ずしも正義じゃないことを知った。
たとえば、大学の学費は無料もしくは格安だけど、そのぶん大学進学できる人が限られている。みんな休暇を取るけど、そのぶん客には迷惑がかかっている。などなど。
モノゴトには、表と裏がある。人間の短所と長所が表裏一体のように、一見「優れている」と思っても、よくよく考えるとそれはそれで問題があったりする。
光を浴びるのはだいたい「表」だけど、注目すべきは多くの場合「裏」。サービス自慢の日本で、過労死が起こっているように。
だから、Aの表とBの裏とを比較するのは、フェアじゃない。そんなの、攻撃力が高いモンスターと守備力が高いモンスターを並べて、「攻撃力が高いモンスターの方が優れている」と言うようなものだ。守備もしっかりしておかないと全滅するかもしれないのに、ね。
フェアじゃない意見は印象操作になる
「キャサリン妃が出産7時間後に退院した」「ヨーロッパではそれくらいが普通」等について「無痛分娩が普及しているため、産後の女性が疲弊してないから」ってことに全然触れないのはフェアじゃないぞ。あれじゃまるで「日本の女性は産後何日も病院で楽して甘えてる」みたいに取れてしまう(・_・;)#NHK
— ずんだくるみ (@zunda_kurumi) 2018年4月24日
これがまさに「フェアじゃない」好例。
出産事情については詳しくないけど、医療制度が国によって大きくちがうのは常識だ。
しかも、王族ともなれば家で家事をする必要もないし、なにかあったらすぐに医者が駆けつけるだろう。そういった人と、他国の一般人である日本の妊婦さんを比べるのはフェアじゃない。
同じ「出産を取り巻く環境」について語るのであれば、それぞれの医療制度や出産に対する考え方のちがいなんかをちゃんと説明して、そのうえで「じゃあどっちがどういいのか」「どうしたらもっとよくなるのか」まで言及してこそ、伝える意味がある。
と、思う。
こういうの、本当にどうかと思う。背景に触れずに単純に海外と比較してもさぁ…。「ドイツ人は残業しない」ってのも、ジョブ型の働き方&労働組合の強さ&労働法の仕組み、ぜーんぶちがうわけで。結果だけで優劣つけるのって、フェアじゃないよね。そしてそれぞれ問題はあるわけだし https://t.co/bofsN720ww
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2018年4月25日
ドイツは「残業しない国」だと思われているけど、実際は残業もふつうにある。休暇はたしかに取れるけど、そのぶん仕事は滞る。
「みんな休暇を取るから日本も!」と言っても、「自分は神さま」だと思い込んでいる日本のオキャクサマは、「担当者がバカンスで1ヶ月不在なので手続きは待ってください」と言われても、受け入れるんだろうか。
そういうことに触れなければ、それは「休暇を取りつつも社会が問題なく回るドイツすごい」という、印象操作になる。
他人を追い詰めるライフハック
そういう意味で、わたしは強い言葉を使う叱咤激励系のライフハックに、疑問をもっている。
「会社を辞める覚悟がなきゃブロガーとして大成しない」だとか、「お金が貯まってからっていう人間はいつまでたっても行動しない」とか、「デブを恥じてダイエットしろ」だとか。
会社を辞めてもある程度生きていける確証がある人もいるし、そうじゃない人もいる。お金がなくてもなんとかなった人もいるし、なんとかならなかった人もいる。
自分がどうにかなったからといって、「ほかの人もできるはず」と同じ土俵で語ってしまうのは、やっぱりフェアじゃない。
「危ない橋を渡る覚悟がないと夢は叶わない」ってのはたしかにそうだけど、裕福な家に生まれた20代独身と経済的余裕がない2児のシングルマザーじゃ求められる覚悟の大きさが違いすぎる。夢を追えない人=意気地なし!みたいなのはちょっとキツイなぁって思う。みんなそれぞれがんばってるんだからねぇ
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2018年4月29日
これは、日本で取りざたされている社会問題についても同じだ。
「自分だったら酔った男の家に行かない」「過労死するくらいなら仕事を辞める」なんて、背景を知らない人からしたら言うのはかんたんだ。
(未成年に「酒の怖さを知っておけ」と言うのは意味がわからない)
性暴力→「のこのこついていった方が悪い」
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2018年4月26日
過労死→「俺だってそのくらいの残業はやってる」
産後うつ→「みんな経験してるのに甘えるな」
みたいなの見てると、殺伐としすぎててなんとも言えない気持ちになる。つらい経験をした人に「お前が悪い」とか鬼畜すぎる https://t.co/4E9DtrTNcJ
実際それができずに傷ついて、ましてや命を落としている人もいる。それなのに、「自分はできるからそいつもできたはずだ」と言うのは、ちょっと乱暴すぎる。
自分的に「こうしたほうがいい」と書くのは自由だけど、強い言葉で煽ると、他人を追い詰めるライフハックという、元も子もない感じになってしまう。
フェアな視点を心がけること
「モノゴトをすべて精査してからじゃないと発言すべきではない!」と言うほど潔癖症ではないし、「いつでもどこでも公平であるべきだ!」と言うつもりもない。
ただ、なにかを比べるのであれば、あくまでソレらを同じ土俵に立たせなければ、あんまり意味がないんじゃないかと思う。
そういう意味で、公平で中立な立場でなくてもいいが、ソレに対してフェアな視点をもつように気をつけたい。
フェアな視点でモノゴトを語るためには、ちゃんと調べて、考えなくちゃいけない。それでももちろん完璧じゃないから、足りない視点(視野が狭かったとき)は、ちゃんと補わないといけない。それにはある程度の柔軟性と素直さが必要だよね。
文章は一方的に完成形を相手にわたすかたちになるから、そこらへんは心がけていきたいところだ。
ちなみにこれは、だれかに向けた偉そうなアドバイスではなく、ただの自戒である(=^・^=)ニャーゴ