最近、都合悪くなるとフォロワーの数でぶん殴るインフルエンサーをちらほら見かけます。自分に都合の悪いことを言ってくる人に対して、「それっぽっちのフォロワーしかいないくせに我に盾突くとは片腹痛いことよ」と偉そうに接する人のことです。
「どこの殿様だよ」って思いながら冷ややかな視線を送りつつ、わたしなりの意見をちょっくら書いてみます。
フォロワー数を振りかざす殿様インフルエンサー
昔は石高でそれぞれマウンティングしてました。詳しくなくとも「加賀100万石!」って言われるとなんかすげぇなって思いますからね。石高ってやっぱ偉大だわ。
2018年になった現代には、SNS戦国時代で自分の城を築き上げたインフルエンサーという方々がおります。
その方々は石高のかわりに、フォロワー数という影響力を測る尺度を持っています。
それはまぁどうでもいいんですけど、おもしろいのはインフルエンサー側に「フォロワーが多い人間が格上」と思ってる人がいるってことです。
フォロワー多くても、糞な奴はいるが、ツイッターのフォロワーを2000や3000にすら出来ない奴は、評価経済社会での基礎体力を欠いている。>VALU問題に思う“Twitterフォロワー数が多い人だけが勝つ世の中”でいいのだろうか https://t.co/yvIOhPVaba
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年9月9日
フォロワー数が全てとは思わないけど、ほぼ毎日呟いてるのにフォロワーが1000すらも行かない人は、メディア関連の仕事やめるか、ツイッター自体をやめた方がいいと思う。
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2015年1月3日
LINEの執行役員という肩書きがある人が3000人程度のフォロワーを得るのと、無名一般人が3000人に興味を持ってもらうハードルの高さはまったくちがうんですけどね。
「1000」「2000」「3000」という線引きになんの客観性がないことを踏まえても、ちょっと意味がわかりません。
あと、痛々しい人がいたことも報告しておきます。
おまえのフォロワーは、たった81人。偉そうな口をきくな! くやしさを噛みしめろw https://t.co/AAZPUpGwfj
— 広瀬隆雄 (@hirosetakao) 2018年1月7日
だそうです。ちなみに、説教おじさんのイケメン対応がわたしのなかで話題になってます。
でかい口叩く割には君のフォロワーもたったの4万人弱なんだから、もっと謙虚になるべきだね。 https://t.co/cK3d1mNEhk
— 説教おじさん (@partyhike) 2018年1月8日
インフルエンサー側が自分のフォロワー数を引き合いに出すのって、基本的に相手に一本とられたときとか、反論できないときとか、悔しいときなんですよね。
「有名な俺に噛み付くなザコ」って姿勢で議論から逃げるんです。やんちゃな子が学級委員に「うるせーバカ」「黙れブス」って言うのと同じレベルです。
フォロワー数が多ければ偉いのか?
SNSの場でフォロワー数を引き合いに出す人は、リアルなら給料や社会的立場なんかでぶん殴る人なんだろうなぁって想像がつきます。
多くの人は他人に相対したとき、その人の人となりを見ます。SNSなら発言内容を、リアルならその人の言動を。それで信用できるかどうかを決めます。
でもフォロワー数が人間のステータスだと思っているような人は、ふだんから他人の中身よりもステータスチェックしてるんでしょう。嫌いなタイプです。
デスノートの寿命みたく年収が頭の上に表示される世の中になったら、このインフルエンサーたちは「年収が100万程度でなに言ってんの?」「その年収は恥ずかしくないの?」と言うんじゃないでしょうか。
そもそもの疑問ですけど、フォロワー数が多いと偉いんですか?
フォロワー数が多ければ知名度と影響力が高いのはわかりますよ。でも、だからって立場が「上」になるんですかね。
フォロワー数は妄信できるほど強い武器じゃない
フォロワーが多ければ、現代社会で得しやすいのは理解できます。でもインフルエンサーとフォロワーの関係って、そんな強固な絆なんでしょうか。
昔からずーっとフォローして記事を読んでくださっている方もいれば、とりあえずフォローして1時間後にフォローを外す人だっているでしょう。
「フォローしてくれればわたしもフォローします!」というタイプの人もいますし、なんならフォロワーなんて買えます。
フォロー&フォロワーの関係を、そんなに信用できます?
フォロー&フォロワーの関係なんて、めっちゃもろくないですか? なにかの判断基準になるほど確固たる数字なの?
フォロワー数を武器として振りかざす人は、どんな人がどんな思いでフォローしてくれてるかとか、知ってるんでしょうか。
どんな家臣がいるかもわからないくせに城のてっぺんから城下町見下ろして「余は満足じゃ。余の一言は大きな意味を持つ」ってやるのは、ちょっとちがいません?
(上で例を挙げたおふたりがこういうタイプかは知りませんが)
信用経済を煽った人たちのうぬぼれ
ちょっと偏見っぽいけど、こういう殿様インフルエンサーって、「信用経済」って言葉が好きそうなんですよねぇ。
タイムバンクやVALUなどは、信用を担保にした取引じゃないです。人気者がファンに売りつけてるだけです。それが悪いとは言わないけど、知名度=信頼度じゃないんですよ。
知名度はあるけど一般常識にかけるクソブロガーなんてふつうにいますし、無名だけど実績を積み上げて一部の人からめっちゃ信頼されてる人だっています。
フォロワー数が多い人は、たしかに知名度があります。影響力があります。
でも別に、多くの信頼を寄せられているとか、人間的に優れているとか、人望が厚いとか、そういうことじゃないんですね。
フォロワー数はあくまで注目度であって、それ以上でもそれ以下でもない。そして注目っていうのは、ポジティブにもネガティブにも当てはまることです。
フォロワー数多いからってあんまりうぬぼれるなよと。いや、知名度があるのは事実だけどね。それはいいことなんだろうけど、それで人の良し悪しは決まらないからね。
SNSなんてやってなくても社会生活を営んでふつーに成果あげていっぱい給料もらってる人なんて、掃いて捨てるほどいるから。
あと、それなりの肩書き&公の場で露出がある人の公式アカウントと、一般人が気まぐれにつかってるアカウントを同列に語るのもおかしいですし。
SNSは「好き」を発信して楽しむツール
なにが言いたいかというと、結局SNSなんてのは好きなことを発信して楽しむツールなんだから、フォロワー数で格付けするのっておかしくない?ってこと。
わたしはライターアカウントではまじめな発信がメインですけど、それはわたしがやりたいからやってるわけで。
狭いコミュニティのなかだけでやり取りして楽しむ人だって、共通の趣味で盛り上がる鍵アカウントだって全然アリじゃないですか。それがSNSだもの。
本気で野球をやってプロを目指す人もいれば、草野球で楽しくプレーする人だっている。どっちだって、本人がよければそれでいいいいじゃないですか。
だから、フォロワー数どうこうよりもその人の発言内容の方が大事なんじゃないかと思うわけです。SNSはじめたばっかの人はフォロワー数なんて少なくて当然だし、だれしもがフォロワー数を増やすために努力してるわけでもないし。
フォロワー数で人を判断するほどフォロワー数は絶対的基準ではないし、そういうやつがいるからSNSがつまんなくなるんだろーなって思います。
こちらからは以上です。