欲求に「ちゃんとした理由」は必要ない!直観も立派な行動理由だ

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こんばんわ、ドイツ語が話せる雨宮です。大学でドイツ語を専攻すると言ったとき、みんなに不思議がられました。

「なんでドイツ語なの?」「どういうときに役に立つの?」と言われるならまだマシで、「ムダじゃない?」「メリット少なくない?」と言われたこともありました。

 

「やりたい」という欲求に、論理的で筋道だった理由を求める空気、なくなればいいのにね!

 

欲求に理由付けなんて無意味

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よく、「〇〇すべき×個の理由!」みたいな記事があるじゃないですか。「ピアノを習うべき5つの理由」とか「海外に住むべき10の理由」とか。わたしも書いたことがあるけど。

 

そういう客観的な理由ももちろん大切だけど、直観的な理由ももっと受け入れられるような空気になればいいのになぁと思います。

 

他人が求める客観的理由は必要なのか?

ドイツでも英語は使えるし、英語を学ぶ方が圧倒的に「便利」です。でもわたしは英語に興味はなかった。ドイツ語が学びたかったんです。

ドイツ行くより就活して就職した方が「無難」だし、ドイツ人より日本人と付き合った方が「リスクが少ない」でしょう。それでも、ドイツに行きたかったわけです。

 

そういうの、ありません? 「客観的にみればこっちがいいっていうのは理解してるんだけど、それでも自分の気持ちはちがう!」っていう、素直な欲求。

 

モー娘。のコンサートDVDより、論語の方が人生には役に立つでしょう。でもわたしはモー娘。が見たいんだよ!!

そこで、「なぜわたしが論語を読まずにモーニング娘。のDVDを見るのか」って客観的理由が必要なのか!? 必要ないよね!?

 

それなのに、「なぜドイツなのか」「就職しないのか」「フリーなのか」とかって話になると、他人から「ちゃんとした理由」を求められたりします。ないよ、そんなもの。

 

欲求に対して説明を求める愚行

単なる興味として、「なんでドイツなの?」「英語圏じゃないの?」って聞かれるのは、日常会話のなかで、ふつうのことだと思います。

 

でも、「なんとなく」「なんか興味があった」っていう理由も、認めてほしいです。

 

「アメリカの方がよくない?」とか、「ドイツ語って就職で役に立たないよね?」とか、大きなお世話です。そんなのわかってるからね。それでもドイツがよかったんだから。

 

「ドイツのことを偉そうに書いておいて、移住理由が『なんとなく』ってふざけてるにもほどがある」って書かれたこともあったなぁ~。

え、ダメですか? 結局は「なんかドイツがいい」っていう理由だったんですが、それは「ふざけてる」んですか? 他人を完全に納得させる理由が、常に必要なんですか?

 

他人の決断に対して「客観的な理由」を求めるのって、バカみたい。最終判断は気分や心持ちなわけだし、すべての行動に理由をつけられるわけじゃないです。それに、あなたを納得させようがさせまいが、基本的には関係ないですからね。

 

直観が理由になってもいいじゃないか

親に反対されてるとか、ビジネスの取引だとかなら、客観的な理由で相手を説得する必要があるかもしれません。でも人の人生の決断に対して、「自分が納得する理由をくれ」っていう第3者、多くないですか?

 

「なんでその仕事を選んだか」「その人と付き合ってるのか」「結婚したくないのか」みたいな、他人には関係のないことに対しても、「なんで?説明して納得させて!」みたいな。

 

「んなもん適当だよ!直観!」でもいいと思うんですよね。むしろ、直観や自分の心のトキメキ具合を信じれないのって、人生つまらない気がします。

 

「もっとよく考えた方が」「慎重になった方が」って、よく考えて慎重に検討して、結果的に「なんかこっちがいい」って直観に従うことだってあるわけでさ。直観や素直な欲求を重視することは、考えなしの無鉄砲ってわけじゃないですよ。

 

理性的な判断が大事だと思う人は、そうやって選択していけばいい。でも「なんとなく」も、「ちゃんとした動機」のひとつと理解してもらいたいな!

 

直観を理性で押さえつけるな

やりたいっていう気持ちをもっている人がいたら、「でも役に立たないよね」みたいなことを言うのはよくないと思うんです。

だから多くの人が、直観を信じる=リスクが高いって思って、自分のヒラメキやトキメキを無視しちゃうんだよ!

 

「哲学科に行きたいけど、就活で役に立たないって言われた」「起業に興味があるけど、リスクが高すぎるって止められた」とかね。

「やりたい」っていう気持ちに、リスクだとかそういう客観的要素を挙げてもしょうがないじゃんね、やりたいんだもの!

 

感情にちょっとブレーキをかけるっていう意味で、現実を教えるのは必要かもしれないけど、結局は自己責任。好きなようにやって、破滅でもなんでもすればいいと思います。自分に関係ない限りね。

 

直観や感覚で人生を決めていいし、決断の理由が「なんとなく」でも、全然いいじゃない。その人の人生だもの。

 

「興味があった」「やってみたかった」「なんかカッコいい」「雰囲気が好き」「楽しそう」とかっていう気持ちを「行動の理由」として認めない人が多いけど、そういうの、すごく大事だよ。

 

客観的に納得できる理由の方が「立派」とされやすいけど、他人を説得する必要がなければ、自分の直観を信じてもだれも困らないですからね。

 

人の決断に「客観的理由」を求めず、直観を大事にできる人を、わたしはステキだと思います。風の吹くまま気の向くまま!

 

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