海外在住者を敵認定する人が無視する「外から見た日本」視点の重要さ

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ドイツ在住の雨宮です。海外に住んでいる人に対し、無条件に「いいな~」とあこがれる人と、無条件に「日本から逃げ出した」と敵認定してくる人がいると知りました。多くの人は前者だけど。

 

価値観は人それぞれだけど、日本はもう鎖国中じゃないので、海外にいるだけで敵認定はしないでほしいなぁ、と思う今日このごろです。

 

海外在住だと敵認定する鎖国中の人々

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日本社会に対して思っていることを書くと、ドイツにまったく触れていなくても、「海外にいるやつの言うことなんか聞くな」みたいなコメントをちらほら見かけます。どうやら一部の人は、海外にいるだけで「日本を裏切った人間」と敵認定するようです。頭の中ではいまだに鎖国中なのかな……。

 

「海外」に対するバッシング

どんなに客観的な日本批判の記事でも、海外在住の人が書いたとわかると、「海外を押し付けるな」「もう日本に来るな」といったコメントを、必ずと言っていいほど見かけます。わたしの記事でもそう。

 

「日本のこういうところは、海外の○○をマネするとよくなるんじゃない?」といった提案も、「出たよ海外アゲ」「日本は日本なのに、海外の方が上だとでも思ってるのか」というコメントがあったり……。

 

記事中で優劣をつけていなくとも、そういったコメントを書く人は、海外と比較され、日本を批判されるのは耐えられないようです。「海外」に恨みでもあるんでしょうか……。ふしぎです。

 

実は「日本在住」に劣等感があるんじゃない?

「海外」に対する異常な反応って、どこからやってくるんでしょう。そう考えたとき、「劣等感がある」もしくは「たんなる外国嫌い」のどっちかなんじゃないか、という結論にいたりました。

 

たとえば、横須賀出身、東京在住のAと、横須賀出身、横須賀在住のBの会話。

※わたしは横須賀大好きの横須賀出身者で、まわりも横須賀好きばっかりです。ただのたとえ話として。

 

A「東京都は子育て支援が充実してて助かってるんだ~。横須賀もそうするべきだよね」

B「ね~。そしたら楽になるのに」

 

ごくごく普通の会話です。

でもBが横須賀在住ということに劣等感を持っていると、こういう会話になります。

 

A「東京都は子育て支援が充実して助かってるんだ~。横須賀もそうするべきだよね」

B「じゃあ東京に住みつづけて横須賀に戻ってこなきゃいいじゃん。東京がそんなにすごいわけ?」

 

「すごい噛みついてるな……」という印象ですが、東京=海外、横須賀=日本に置き換えると、こういったコメントは結構多いんです。

 

いくら客観的データを上げても、日本批判に対して過剰な反応をする人がいます。それなのに、海外のごく一部のネットコメントや、ごく一部の日本好き外国人を取り上げた日本称賛は受け入れられます。

 

好きなものを悪く言われたくない、というのはわかるんですが、なんだか現実逃避しているように思えます。

 

単に外国嫌いの方もいるかもしれません。それ自体は価値観のちがいなので仕方ないですが。

 

 

 

「外から見た日本」という視点

「日本人だから海外は関係ない」「日本にいるかぎり日本のやり方が正しい」、と言う人は、あまりにも世界の動きを知らな過ぎるんじゃないかと思います。

 

「海外は関係ない」と言えるのは、いまの時代、外国と関係を持たずに国内で全部自給自足できる鎖国中の国くらいなものでしょう。「日本では日本がスタンダード」というのは一理あるんですが、その日本のスタンダードとやらは、世界で戦えるほどの武器なんでしょうか。

 

日本は外からも見られてる

海外から情報発信していると、「出て行った人間のくせに文句言うな」という、いつの村社会だよ、と思うようなコメントをいただきます。

インターネットで情報がつながり、世界がどんどんと拓けていくなか、日本は「外」からジロジロ見られてるんですよ。

 

日本の過労死はドイツ・イギリス・フランス・アメリカ・中国・韓国などの大手新聞にも取り上げられていました。それで、いろいろと言われてるわけです。

 

それなのに多くの日本人は、外からの視点にすごく無頓着です。外国人が少ない島国ですから、外より内に目が向くのは当然だと思います。でも、だからといって「外」からの目線がないわけじゃありません。「外から見た日本」を知らなければ、日本は国際社会から取り残されるでしょう。

 

「外から日本を見れる日本人」は、敵じゃなく、味方の場合が多いと思います。中に居たら気付けないことを伝えられるわけですから。

わたしの記事がすべて正しいだとかって言うつもりはありませんが。

 

比較対象がなければ「日本流」は存在しない

たとえ「海外は無視して日本のやり方・考え方」を貫くとしても、ほかの国を知らずに「日本のスタンダード」は語れません。歴史でも文化でも言語でも、比較対象がなきゃ分析も研究もできませんから。

 

平安時代、江戸時代、戦後、現代の日本を比較しても、それは「日本の軌跡をなぞった」だけです。ほかの国と比べてはじめて、「日本がどういった国か」がわかります。

 

たとえば、日本は宗教に無頓着な人が多いですが、それは宗教によって治めている国があるからこそ、「相対的に」宗教に無頓着と言えるわけです。海外のことを知らなければ、日本の宗教への考えが特殊だと気付けませんよね。

ほかの国と比べてはじめて、「日本流」がなにかわかるわけです。

 

「日本は日本だ」って考えもありますが、他国と比較検討しなければ、「なにが日本か」を説明できないと思います。他国とちがうところが日本の特徴なわけですから。

 

場合によっては海外のやり方から学ぶべきだし、日本流を貫くなら、どうやったらそれを日本の強みに出来るかって考えるべきだと思います。そのためにも、外から日本を見るっていう視点は大事になるんじゃないでしょうか。

 

 「海外」はすぐそばにある

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地理的に他国と距離があって、歴史的にも、沖縄を除いて基本的には「ひとつの国」としてまとまり続けていた日本。海外が遠くに感じ、「日本とそれ以外の国」と思っている人も少なくないでしょう。

 

でも、「海外」はとても身近です。そして世界は、外から日本を見ています。そういった時代のなかで、海外在住ってだけで嫌悪感を抱かれたり、敵だと認定されるのはちょっと悲しいなーと思います。

 

「日本の常識は世界の非常識」なんて言われるように、日本はかなり特殊な国です。それがプラスに働くことも、その逆もあります。プラスの特殊性はどんどん世界にアピールして誇ればいいし、マイナス部分は他国と比較検討してよくしていくべきだと思います。

 

でもそれは、海外(日本以外の国)を知らないとできないことです。住んでいるかどうかに関わらず。だから、たとえ日本から一生外に出ない人でも、「外から日本を見たときにどう映るか」を知ることは、大切なんじゃないかと思うわけです。

 

記事の内容の賛否や個人的な好き嫌いはあるでしょうが、海外に住んでるだけで叩くのは勘弁してほしいなーと思う雨宮でした。

 

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