【あらすじと感想】『最後の医者は桜を見上げて君を想う』レビュー

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感動とやるせなさと切なさで、読んだ後「あぁ……」ってなることまちがいなしの名作『最後の医者は桜を見上げて君を想う』をレビューします!

たったの302円(2017年7月5日現在)で楽しめる、超オトクな小説です。

 

これからもずっと続いていくと思っていた人生に、いきなり「死」が迫ったとき。あなたは、自分の「生」のためにどれだけのものを諦められますか?

 

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』のあらすじ

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出典:最後の医者は桜を見上げて君を想う

 

 

七十字病院には、ふたりの対照的な医者がいます。

なにがなんでも患者を延命させようとする「絶対に奇跡を諦めない」医者・福原。患者に能動的な生き方をうながし「患者は死に方を選べるはずだ」と主張する医者・桐子。

そして、その間に挟まれ、ふたりほどの強い信念がない自分に悩む同期の医者・音山。

 

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』は、タイプのちがった3人の医者の生死観を通して、読者に「いのち」について問いかける小説です。

 

「とある会社員の死」:生きるために何を諦められる?

第一章は、働き盛りでもうすぐ子どもが生まれるという状況で白血病になった男性、浜山という男の物語です。

 

浜山は、骨髄移植をするかどうかの選択を迫られます。移植した骨髄がきちんと根付かない可能性が7%。合併症が起こる可能性が20%。長期無病生存率5年で70%。さまざまな確率を前にして、浜山は苦しみます。

 

「殺したいなら、静かに殺せばいいだろう![……]いくつも選択肢を残し、治療法に確立なんてものを用意しやがった。死がまるで、俺の選択による結果であるかのように装飾していやがる。わかるか? おかげで俺は眠れない……どんだけ考え立って、答えが出ないから!」

出典:最後の医者は桜を見上げて君を想う

 

福原は「なにがなんでも移植して延命すべし」と言いますが、桐子は「病気に勝つには、死ぬのも一つの方法である」という見解を示します。そして桐子は、浜山にこう尋ねます。

 

「視覚を失う代わりに死を免れるとしたら、許せますか。加えて聴覚と、触覚も失ったら? 足がなくなるとしたら? 知能指数が半分になるとしたら? 今までの貯金をすべて失うとしたら? 誰かの命と引き換えだとしたら? 寿命が半分になるとしたら? 記憶が改竄されるとしたら?」

「どこまで受け入れられますか。具体的にどこまでだったら、自分の命の対価に差し出せますか」

出典:最後の医者は桜を見上げて君を想う

 

確率の話ばかりされてうんざりする浜山に、桐子は「生きるために何を失えるのか」と問いかけるのです。

それは、確率を意識して振り回されている浜山に対する、桐子なりの「自分で選べ」というメッセージです。

 

もしあなたが「生死を賭けた確率」を目の前に突きつけられたとして、どこまでなら諦められますか? どこからなら「死んだほうがマシ」だと思えますか?

 

「とある大学生の死」:自分の人生はなんだったんだろう?

三浪してようやく入れた東教医科大学医学部。まりえは、憧れのキャンパスライフと夢だった医者への道が開かれ、胸をときめかせます。ですが彼女は、足が妙な具合に動かなくなっていることに気が付きます。

病名は筋萎縮性側索硬化症。通称ALSでした。

 

アイス・バケツ・チャレンジで認知が広まったALS。筋肉をうまく動かせなくなり、話したり食べたりすることがむずかしくなり、呼吸筋が弱まり呼吸障害が起こる病気です。原因不明の難病。

 

進行が早く、日に日にまりえの体は動かなくなっていきます。

 

お父さんとお母さんにも、たくさん負担をかけた。何年間もの塾の月謝。参考書代。医学部の入学金だって、教科書代だって、ムダ金だった。そのお金があればいろんなことができただろう。

負債だ。私は負債しか生み出さない存在なんだ。

出典:最後の医者は桜を見上げて君を想う

 

まりえは自暴自棄になり、友人と会うことすら拒否します。そんなまりえを放っておけない主治医の音山は、診療のためにまりえの家へ通います。

 

 音山はまりえにどう接するべきか悩み、福原と桐子に、「自分が医学部に入学してすぐにALSと診断されたらどうするか」と尋ねました。

 

諦めない医者・福原は「闘病しながら勉強を続け、自分自身で実験をしてALSの研究をする」と宣言。自分がALSなんだから患者目線で治療できるだろう、と。

一方の風来坊・桐子は、「叶わない希望を捨てることで新たな希望を見つけられる」と言い、病気を自分の個性だと受け入れる考えです。

 

そしてそんな2人ほどの揺るがない意思を持たない音山は、寄り添い、共に悩むという道を選びます。

 

もし自分が、「人生これから」というときにALSだと診断されたら、これまでの人生のことをどう思い、これからの人生のことをどう思うんだろう。人生がいつまでも続くわけじゃないと痛感したときに、一体自分はなにを望むんだろう。

そんなことを考えさせられます。

 

 

 

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』の感想

本当はもう1章あるのですが、それに触れてしまうとかなりのネタバレになるので、本編でお楽しみください。

 

重いテーマではありますが、短めでさくっと読める『最後の医者は桜を見上げて君を想う』

 

わたしは病気がらみの小説や漫画は、基本的に好きじゃないんです。結局悲しい結末になるのがわかるし、感動すること前提で進んでいきますから。

でもこの作品は、すでに登場人物の「死」が決定しています。焦点はあくまで、「死までをどう生きるか」「どうやって死ぬか」の2点。

 

何が何でも治療を続行して奇跡を諦めない医者、福原。治療しないことも病気への抵抗のひとつだという信念の医者、桐子。どちらの生死観が「正しい」のでしょう。どちらの医者が患者を「救う」のでしょう。

 

自分が死ぬって、全然想像できないんですよね。「いつか死ぬ」ってことはわかってても、それは何十年も先のことだと思ってます。ほとんどの人は、明日も生きていること前提で生活しているでしょう。

 

でもそこで、突然命を賭けた選択を迫られたら。命の終わりを突きつけられたら?

 

だれにでも起こりうることなのに、なぜか「自分にはそんなこと起こらない」と思ってしまうのが人間の自分勝手さです。

だからこそ、2人の対極的な医者の考えを通じて自分の生死観を問いかけられるこの作品を、多くの人におススメしたいです。

 

安い&短い&読みやすい、『最後の医者は桜を見上げて君を想う』。いま生きているからこそ読んでほしい名作!