動画が文章の上に立つ「動画の時代」は本当に来るのか

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「動画の時代来る!」と言うけれど

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youtuberが少しずつ職業として認識されはじめ、「動画の時代が来る!」と息巻いている人たちをチラホラと見かけます。ブロガーでも、去年や今年あたりからyoutubeに手を出し始めた人がたくさんいますね。

 

でも、 動画の時代、本当に来るんですか?

 

動画はたしかに、情報量が多く、たくさんのことを伝えることができます。でも本当に「動画の時代」――オンラインコミュニケーションのなかで現在主流である文章を押しのけて、動画が頂点に君臨する、そんな時代が来るんでしょうか? いや、さすがにそれはなくね?

 

動画には文章とはちがう良さがある。テレビ離れした層が動画に流れたという側面も事実。

でも、「動画という媒体が広がっていく」ならともかく、「動画の時代」はさすがに言いすぎなんじゃないの?って思ってます。

 

まぁそう言う人は、「noteの時代」「valuの時代」と自分が先駆者ぶって他人を煽るのが大好きなだけっぽいから、根拠もなく大声だしてるだけなんでしょうけど。

 

目と耳を独占する動画は忙しい人の大敵

動画の一番のデメリット、というか性質上どうにもならないのが、「目と耳を両方、同時に独占する」こと。

 

文章なら、目だけでさーっと読める。ラジオや音楽なら、イヤフォンからぼーっと聞ける。

でも動画となると、目で画面を見つめながら、音もしっかり聞き取らなきゃいけない。目も耳も両方独占されるんですよ、ダルくないですか?

 

 

このツイート、案外多くの人に賛同していただきました。

 

文章なら、読みたいところだけ読める。でも、動画は見たいところをピンポイントで選び取るのがむずかしい。

音声(音楽)なら、聞きながらなにかできる。実際、料理したり掃除したりするときラジオ聞いてるし。でも動画は、画がともなわないとあんまり楽しめない。

 

動画って娯楽として楽しむには結構ハードル高いと思うんだけど、本当にみんなそんなに見てるのかなぁ? 一部の層がやたらと動画を見てるだけじゃない?

 

 

 

動画が向いているジャンルもある

「動画」というもの自体を否定する気はないんです。報道なんかは動画のほうが圧倒的にリアルだし、化粧のしかたやエクササイズなんかは、文章より圧倒的に動画だよね。料理もそうか。

 

要は棲み分けの話で、「文章で伝えづらいことを動画にする」もしくは「動画に最適な企画を用意する」のであれば、動画も全然アリです。わたしも動画を見ないわけじゃないし。

 

ただ、文章は楽しみ方に自由な幅がある(場所やスピードなど)けど、動画って楽しむときの制約多くない?

 

音を出してもいい、もしくは他人に音が聞こえない環境で、動画を見続ける時間的余裕があり、ほかに何の作業もせずその動画だけをじっと見る熱意?みたいなのがないと無理。

 

「このジャンルなら文章より動画のほうがいい!」っていうのはありえるけど、「これからは文章より動画!」はちょっと意味がわからない。なにを根拠に? 本当にそんな時代くるの? まじで??

 

読むことから逃げるための「動画」への危惧

twitterで「文字を読むのが苦痛な人が動画に走る」というお声をちらほらいただき、読むのが大好き人間としては「なるほどなぁ」と思いました。

そういう人にとって読むことは娯楽になりえないので、動画のほうが楽しいというのは理解できます。

 

ただ、本来文章で読み、理解すべき内容もちゃちゃっと動画ですませてしまうというのは、さらに読解力を低下させる気がするので考えものです。

 

「だれもが情報を受け取れる」といえば聞こえはいいけど、「読むことから逃げる」ことにもなります。個人的にはそれでもいいけど、そういう人ばっかりになったらますます日本は終わりそうだな、感はある。

 

動画のほうがわかりやすいコンテンツもあるけど、文章で理解できる能力はやっぱり必要。動画が本来カバーする必要のないジャンルにも侵食して「読みたくないから動画でいいや」と読解回避傾向が強まるのは、なかなかいただけないですね。

 

 

 

文章が動画に排斥される日は来るのか?

いや、動画が悪いわけじゃないんです。ただ、「なぜ動画という手段を選ぶのか」が明確じゃないのに、「いまは動画だ!」ってしょーもない動画アップしてる人多いなって思って。

 

文章なら、しょうもなくてもまぁいいと思うんだよ。読むのにそんな時間かかんないし、さーっとスクロールして、おもしろそうならもう一回読み直せばいいんだから。

 

でも動画って、見る側も時間消費するし、そのあいだほかのことできないし、見ず知らずの他人に不快感を与えず話し続けるって素人には結構むずかしいし、かといって数人でワイワイやれば内輪感でるし、とにかく「楽しんでもらう」のハードルが高いのよ(これをクリアしてる人気youtuberは本当すごいと思う)。

 

そういうの無視して、「これからは動画の時代!」って言うのはなぁ……。youtubeやってるブロガーでも、黙ってブログ書いてたほうがいいんじゃない?って人たくさんいますし。

 

動画に需要はあっても主流にはならない

動画には需要があると思います。最近のテレビはいろいろアレだし、なんかぼーっとしたいときに流すのに向いてるし、ヨガ動画なんかはわたしも参考にしてます。

 

youtubeの登録者数10万超えの人なんて結構ザラにいますし、再生回数100万回、なんてのもありますからね。「動画」を楽しむ人を否定する気はありません。

 

でも、「動画の時代」と呼ばれる、動画が主役になる時代がくるかといえば、「みんなそこまで暇じゃない」とも思うんですね。

 

10分の動画を1日1本や2本見るならまぁやるかもしれません。でもそれじゃ、溢れかえる「文章」に取って代わるほどの存在感とはいえないでしょう。いまでも、動画を見る層ってけっこう限られてるんじゃないかなぁ。

 

動画の需要はあるし、動画だから光るコンテンツもたくさんある。でも「動画」はそもそも視聴者にいろんな制限をかけるツールでもあるので、主流にはなりえないんじゃないかなーというのがわたしの意見です。

まぁ動画に慣れたいまの子どもが大人になるときはどうなるかわかんないけど、その子たちを満足させられるコンテンツを生み出すのは同世代だろうしなぁ。

 

根拠のない「動画時代」という大声に流されて、たいして好きでもない動画をやる必要もないし、興味ないなら別に見なくてもいいわけで。まぁ動画は「好き」な人がやって、「好き」な人が楽しめばいいよねってこと。