読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ドイツ発 雨宮の迷走ニュース

ちょっと尖ってるらしいオピニオン系ブログ。海外生活やライフハック、その他ニュースなど。

善意タダ乗り人間を許すな!善意の期待&強制はただの身勝手だ

このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク

世の中は基本的に、他人の善意で回っています。そうでなければ、平穏な生活は送れません。でもその善意っていうのは自発的なものであるべきで、他人に善意を期待するようなものじゃないと思うんです。

 

なんか、「善意的な人間なら当然だよね?」みたいな、善意を前提とした期待ってうんざりする!!

 

善意という盾を持った押しつけがましい人々

f:id:amamiya9901:20170329085515j:plain

日本人の美徳とされる、「持ちつ持たれつ」、「和を以て貴しとなす」、「義理人情」のような言葉はどれも、「相手を大切に思う」ことに根幹があると思います。

小学校でも、「やられてイヤなことはしない」みたいに、「相手の気持ちになって考える」ことを学びます。

 

それはいいんだけど、逆に、「相手は自分の気持ちになって考えてくれるだろう」って思い込んでる人、いますよね。それはちょっと都合がよすぎるんじゃないの?

 

善意を期待する傲慢

最近、「電話をかける人は相手の迷惑を考えていない」という意見を見かけます。「メールで済ませ」「無駄話でこっちの時間を奪うな」「こっちにだって都合がある」みたいな。

 

わたしとしては、なんで「相手が自分を無条件で思いやる」前提で考えてるのかわかりません。

 

電話が鳴ったら絶対に出なきゃいけなくて、こっちからは切れなくて、電話代もこっちもちならわかりますよ。でもイヤなら無視すればいいし、気が向いたときに折り返せばいいじゃないですか。

 

「こっちのことを考えてたら、ふつう電話なんてかけないでしょ?」って、どんだけ傲慢なのって思います。面倒な察してちゃんかよ。

 

じゃぁあなたは、「相手はどうしても話したいことがある」「緊急性の高い内容」かもしれないと、相手を思いやってますかっていう話でさ。 

 

相手のことを思いやってないのに、こっちには善意的に動けって、自分勝手ですよね。

 

善意の期待に応えなければ「冷酷」なのか

お世話になった先輩が、「後輩が上京する。お前の家の近くだから、面倒を見てくれないか」と言ってきたとします。先輩の立場を立てて、義理を通し、人情があるのなら、引き受けるべきでしょう。

 

でも、あなたにとってその後輩は赤の他人で、仕事は繁忙期、さらに恋人と別れたばかりで、正直イヤだなぁと思ったとします。

そこであなたは、断りますか? もしくは先輩の立場になって、断られたらどう思いますか?

 

本来、「できれば願いしたい」って話は、断ってもなんら問題はないんです。でも、断ったら、罪悪感に襲われませんか?

 

悪いことをしてないのに、「善意的でない」ことをしたら、「冷酷」「不義理」「付き合いが悪い」になってしまいます。

「思いやり」が美徳なのはわかるんだけど、そのおかげで「人のために自己犠牲を払えない人は冷たい人間」認定されるのはちょっと納得いかない。

 

スポンサーリンク

 

 

強制する善意は美徳ではなく悪習

このブログでは、「留学に関する問い合わせは受け付けていません」とわざわざ明記しています。

最初は、留学専門ブログでも留学コンサルタントでもない赤の他人に、留学についての質問をしてくる人がいるなんて、思ってもみませんでした。

 

でもね、いるんです。「無料で相談に乗って」「代わりに調べて」「手続きの面倒を見て」って。見ず知らずの他人であるわたしの善意を期待して、利用しようとする人

 

それで、『留学に関して質問してくる不愉快な人たちへ 』という記事を書いたんですけど、「質問=需要がある情報なんだから、ライターなら答えるべき」「聞かれたくないならドイツの話をするな」とか言われましたよ。

 

まわりの人間が常に自分のことを思いやって、自分の利益のために善意的な言動をするのが当然だという考えが、ワガママだっていう自覚がないんでしょうね。「人間は善良であるべきで、善良な人間ならわたしを助けるのが当然」って考え。

 

「善良な人間なら当然相談に乗ってくれるよな」って思ってる人が多いから、留学相談を、全部無視することにしたんです。

 

相談に乗ったら、丁寧に感謝のメッセージをくれて、わたしを応援してくれる人ばっかりならいいよ。でも善意にタダ乗りしようとするヤツは、要求がどんどん過剰になるんだもん。やってらんないよ。

 

善意とは自発的な思いやりであるべき

性善説というと、なんだか美しく、心地いい響きがあります。でも善意とは、期待するものでもなければ、強制するものでもありません

 

「わたしのことを思いやって!無償で自己犠牲してわたしに尽くして!善良な人間なら当然よ!」ってのはただの勘違い野郎。

「自分が期待しているほどの善意を持ち合わせていなかった」って他人を批判するのは、お角違いもいいところ。

 

他人の善意って、もっと尊くて暖かくて優しいものだよ。期待して傲慢になるなんてもってのほかだよ!

 

他人が自分のことを思いやって優しくしてくれるって、本当に奇跡みたいなことです。だって、相手には得がないもの。

それでも善意的でいてくれる人に対しては、感謝するのが当たり前。善意にタダ乗りして、相手に無償で負担を強いるのは、人間としてどうかと思います

 

わたしが「善意を期待している人」に恐ろしく冷たいのは、他人の善意を期待するくせに、他人に対して善意的でない人が多いからです。

お互い小さな善意に感謝しあえる方が、優しい世の中になるのにね!

 

おすすめ関連記事

「常識」に疑問を持たない人たちが、社会を退化させる

留学に関して質問してくる不愉快な人たちへ