3ヶ月の一時帰国から、ドイツに戻ってまいりました。そこで思ったのは、ドイツはめちゃくちゃ不便な国っていうこと。いや、『日本が便利すぎる』のほうが正しいかもしれない。
電車は時間通り来ない。なんならアナウンスなしで運休。宅配便は在宅してても不在表入れられる。つーかダンボールに穴空いてる。日曜はお店が閉まってる。スーパーの野菜の質が悪い。たまに腐ってる。役所の対応は最悪。みんな自分は担当者じゃないと言う。電話はつながらない。なんにもスムーズにできない。
それなのに、不思議だ。わたしはなぜか、「ドイツって生きやすい国だなぁ」と思っているのだから。
便利な日本から不便なドイツへ
ドイツは、かなり不便です。いや、日本が便利すぎると言うべきか。だから日本からドイツへ戻ると、「なぜこの程度もやってくれないんだ」「なににこんな時間がかかってるんだ」「やる気なさすぎだろ」なんて四六時中思ってます。
どれだけ不便かといえば、まぁこんな感じです。
日本のお役所ってすげぇなぁ。みんなが担当者で、だいたいなんでも答えてくれる。対応は早いし丁寧、確実。
— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) November 9, 2018
ドイツは何十回も電話かけてやっと繋がったと思ったら担当者不在、担当者に電話すると「自分は担当者じゃない」というのが常。しかも不便なところにあることも多い。
日本のお役所、すごい。
「頼んだ料理が小一時間来ないんですけど、注文通ってますか?」
— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) November 10, 2018
と聞けば
「もちろん、僕がやったからね😃」
とのこと。
やっと料理がきたと思ったら
「君のパスタはもうちょっとかかる😃」
だとさ。
あーーードイツ戻ってきたなぁぁあ!!って感じするわ
ちょっとイラっとしながら「料理が来ない」って言ってるのに、「大丈夫、いま作ってるから(いい笑顔)」で返されたとき、わたしは('◇')←こんな顔になりました。一緒にいた彼は「待ってれば来るよ」と気にしてないし……。
役所に電話しても、みんな「自分は担当じゃない」ってたらいまわし。しかも担当者(と思しき人)にコンタクトをとるために10回電話したり、メールの返信を2週間待つなんてのもザラなんですよ!
だからドイツでは、「おいおい」と思うこともしばしば。でもそれはたぶん、わたしが日本に慣れているからだと思います。
日本に慣れていると、期待値がそもそも高くなっちゃうんですよね、知らず知らず。その期待に応えてもらえないと、すぐにイラっとしてしまう。でも多くの人は、ちゃんとその期待に応えてくれる。そうやって回ってる。
不便なドイツで送る期待しない生活
じゃあわたしが日本の便利さを恋しく思っているかというと、案外そうでもないんですね。まぁ実家の居心地のよさに敵うものはないけど。
なんなら、ドイツのほうが気楽に暮らせてたりします。
理由は、がっかりしないから。
期待すると、たいていの場合はがっかりします。「なんで期待通りなんねーんだこのクソ」みたいな。で、期待どおりになっても「まぁ当然だろ」って思っちゃう。言ってしまえば、できて当然、できなきゃ否定というワガママな気持ちになるわけです。
でもドイツでは他人に期待なんてしない、というよりできないので、うまくいかなきゃ「まぁこんなもんだよな」と思うし、うまくいったら「ありがとうございます!やったぁ!」とすごくうれしくなる。
電車が往復時間どおり来ただけでも、「なんか今日いいこと起こりそう♪」って思えるレベルです。ちなみにさっき運休してたけど、「まーしゃーない」くらいにしか思いません。それがドイツだからな。
日本だと店員の対応が悪かったりシステム上面倒な手続きが必要だと腹が立つけど、ドイツでは「対応してもらえるだけありがたいなぁ」「いつになるかわからんけど待っとけばどうにかなるだろう」と寛大になれる。というか諦める。
— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) November 14, 2018
ゴネてもどうにもならんと知ってると、ゴネる気もなくなるのである。
これって、『足るを知る』ってやつなのかもしれません。他人に期待しないからがっかりしない。いいことが起こると満足する。意外に心は穏やかです。
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完璧じゃなくてもいいという気安さ
そして、他人に期待しないということは、他人からも期待されないということです。即レスや10分前集合しなくてもいい。オシャレでばっちり化粧しなくても誰も気にしない。
電車に乗り遅れそうになったら、だれかがドアを開けて待っててくれる(ドイツではこれやる人結構いるから遅延もする)。
前、路面電車のなかの券売機で5ユーロ紙幣が使えないことがあって。「だれか小銭持ってませんか」って聞いたら、「1ユーロなら」「2ユーロならあるよ」といろんな人が助けてくれて。
バセドウ病のせいで夏がすごくつらかったときも、「顔色悪いけど大丈夫? 座る?」とバスで席を譲ってもらったこともありました。ドイツには、そういう気安さがあるんですね。
そういうの、すごい楽だなぁって。困ったら助けてもらえばいいし、きっちりしてなくてもいいし。まぁそのぶん、他人もちゃんとやってはくれないわけだけど。
不便なほうが生きやすいこともある
ふつうに考えれば、便利なほうがいいに決まってますよね。そりゃわたしもそう思います。そういう意味で日本が住みやすい国なのは事実です。
でもそれは自分もちゃんとしなきゃいけないってのと表裏一体なので、不便なほうが生きやすいって場合もあるんですね。
それは多くの海外在住者がいう、「心地よい適当さ」や「他人への無関心さ」、「期待値が低い生活」による「生きやすさ」なんだと思います。田舎暮らしが好きな人も、ある意味似たような気持ちなのかもしれませんね。
日本のようにかっちりきっちりする国が好きな人もいるし、そういうところだと窮屈に感じる人もいる。要は、自分にぴったりの場所で暮らすのが生きやすさにつながるよねって話です。
あとちょいとお知らせ。
今月中、とある超大手メディアで記事が公開される予定です。改めて告知するのでお楽しみに! あと、なんとNewsweekで、拙著『日本人とドイツ人』に関する書評が公開されました。こっちもよろしくどうぞ!