不幸を比べたがる人っているんですよねー。「残業100時間?俺なんてもっとやってるぞ」とか、「子育てが大変って、実家に預けてるじゃない。わたしなんてひとりで働きながら子育てしたのよ」みたいな。
なんでみんな、そんなに堂々と「わたしは不幸です!」って言うんでしょうね。そんなに誇らしげに言うことじゃないだろうに……。
不毛な不幸合戦で助けを求められなくなる
なんか最近、「幸福」「不幸」についてよく書いてますね。飽きられそうで心配です。
ネットを見てて、不幸合戦で勝ちたがってる人が多いなーと思うんですね。自分の方がもっと大変だ、それくらいで弱音を吐くな、不幸なわたしかわいそう的な。いやいや、幸か不幸かなんて、絶対評価じゃないですか。比べるものではないですよね。
で、そうやって不幸合戦する人がいるから、生活保護=怠惰だとか、精神病=甘えだとかっていう考えになるんでしょう。不毛ですよね。
「そのくらいは大変じゃない」論
不幸合戦のなかで、「そんなの大変じゃない」「それくらいで弱音を吐くな」みたいな、「そもそも不幸じゃないだろ」っていう言い分を、よく見聞きします。
仕事でボロボロになってる人に対して「残業100時間で過労死は甘え」とか、失恋して落ち込んでる人に対して「たかが失恋で」とか。
その人がつらいって言ってんのに、なんで「つらくない!」って言うんでしょう。ちょっと意味がわからないよ。
なんかさ、「給料上がった!」って喜んでる人に対して、「でも宝くじに当たって、楽に3億手に入れる人もいるんだよ。全然幸せじゃないでしょ」って言うのと同じレベルですよね。でもそんなこと、ふつうは言わないじゃないですか。
ポジティブな要素に対しては「その人が幸せならそれでいいじゃない」ってなるのに、ネガティブな要素に対しては「そんなレベルで不幸なんて認めない!」ってなるのは、おかしくないですか?
「下には下がいるから耐えろ」論
あと、「下には下がいるから耐えろ」っていう、共倒れ万歳!みたいな理論も謎です。
体調不良なのに京都のRDDに無理して行った。気圧か気温のせいか手だけで15箇所、足2箇所腫れ上がって同時に頭痛まできて車椅子で身動き取れなくなった。耐え難い激痛で涙が止まらない。その時ヘルパーさんに言われた一言 「でも手足なくて辛い人だっているよ」その言葉を期に何も発せなくなった
— ぐれいす@肢端紅痛症を広め隊 (@megrace_) 2017年2月26日
わたし、こういう考え好きじゃないんですよ。ヘルパーの方は悪気なく励ましたかっただけのようですが、より不幸な人がいるんだから耐えなさいって、理論的に破綻してません? 不幸の総数が決まってるわけじゃないんだから、関係ないじゃないですか。
仕事で悩んでる人に「仕事がない人だっている」、いじめで悩んでる子に「学校に行けない子だっている」、摂食障害に苦しんでる人に、「食べ物がない人だっている」って言ってもしょうがないじゃないですか。「いや、だから?」って言いたくなりますよ。
そんなこと言ったら、日本での不幸なんて、「平和な国に住んでる人間の贅沢な悩み」で片付いちゃうじゃないですか。で、それがなんの解決になるの?っていうね。
「不幸なわたしかわいそう」論
ただ純粋に、不幸を見せびらかしたい人もいますよね。俗にいうかまってちゃん。それはそれで、人の生き方なんで、好きにしたらいいと思います。だいたいの人は「幸せ」な状態でいたいものですが、人によっては不幸でいることが「幸せ」だったりもするんでね。
でも不幸に酔ってる人がいると、自分の幸せが吸い取られていく気がします。負のオーラが伝染するというか、妖怪が出す瘴気みたいなイメージです。どんどん広がって、吸った人を蝕んでいくアレです。
自分が不幸でいるのは個人の勝手だけど、だからって不幸オーラを撒き散らさないでほしいなぁと思います。
不幸比べはだれかを追い詰める
不幸合戦は不毛で、だれかを追い詰めます。だからわたしは、幸せだの不幸だのを比べるのが好きじゃないんですよね。ムダだし。
「その程度は不幸じゃない」って言われたら、もう弱音を吐けないじゃないですか。「もっと不幸な人もいる」って言われたら、耐えるしかなくなるじゃないですか。「わたしの方が不幸なの、かわいそうでしょ」って言われたら、こっちが慰める側にまわらなきゃいけないじゃないですか。
「だれがより不幸か」って話をしてても、なんの解決にもならないです。話の方向性自体がネガティブなんだから、ポジティブなゴールに辿り着けるわけがないんですよね。
不幸合戦は、解決にならないどころか、だれかを追い詰めます。「この程度は不幸じゃないんだ」「もっとつらい人がいるんだから自分はまだ大丈夫」みたいに思わせたら、最悪です。
助けを求められない社会は生きづらい
手助けが必要なら、余裕ある人が手を差し伸べればいいじゃないですか。それなのに、他人が「そのくらい」って言っちゃうから、「助けて」って言えない人が増えると思うんですよね。逃げ場がなくなっちゃいます。
不幸なんて比べるものではないし、むしろみんな不幸じゃない方がいいんだから、困ってる人をさらに追い詰めるような言動は慎む方がいいですよね。自分だって助けてほしいときはあるし、いつ手助けが必要な人生になるかわかんないんですから。
まわりに「つらい」「しんどい」って言う人がいたら、「そのくらい」とか「甘え」とか言わずに、「その人が幸せになるためになにが必要なのか」って一緒に考えてあげられるようになれば、優しい世界になるんじゃないかなーと思うわけです。
不幸は絶対評価だから、不毛な不幸合戦で不幸マウンティングせず、困ってる人に手を差し伸べられる人間でありたいね!!