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ドイツ発 雨宮の迷走ニュース

ちょっと尖ってるらしいオピニオン系ブログ。海外生活やライフハック、その他ニュースなど。

日本が嫌で海外に飛び出した女は、海外で幸せになったのか?

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なぜかこのタイミングで拡散された『日本人の私が、どうしても受け入れられなかった日本文化5つがこれだ』という記事で、「海外でも同じじゃん」というコメントをちらほら見かけました。

 

なので、日本の風潮が嫌で海外に飛び出したわたしが、海外で幸せになったのかについて書いていきます。

 

日本を飛び出したら幸せになれるのか?

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元記事に書いたのは、「正しいことを言っても怒られる」「議論せず面倒くさい扱いされる」「社交辞令、空気を読むのが嫌」「マイノリティになると目立つ」「こうするべきって圧力が強い」の5つです。

 

そういうのがイヤだな~と思って、海外に飛び出しました。ドイツにしたのはただの成り行きです。

 

自分の意見を言ったら怒られるのか

「正しい」と言うと語弊がありそうですが、日本では大多数が「正しい」と言ったら自動的に「正しい」になる風潮があるように思えます。そういうのがイヤでした。

 

もちろん自分がまちがえている場合もあるけど、それなら「こういう理由であなたの意見はまちがえてる」って言ってほしい。そうじゃなくて、「みんながこう言っているから正しい」というのは納得いきません。

 

じゃードイツはどうかといえば、議論大国なので、「あなたが納得すればそれで済む話よ!」みたいなのは経験したことがありません。

 

むしろ、自分の意見を言わない人は「ないもの」として扱われるくらいです。そこまで露骨じゃないけど、自分の意見を言えない人は自立していないように思われます。

なので、自分の意見を言うことで面倒くさい扱いされることはありません。

 

だからって何をどう言ってもいいということではないですが、それでも「意見を言うこと」自体は基本的に正義であり権利です。すごく生きやすいなーと思いました。

 

「空気を読む」と「顔色をうかがう」

日本の空気を読むということは、顔色をうかがうとほぼ同義だと思っています。

他人の考えてることなんかわかんないんだから、「どう考えてるか」なんてわかるわけがない。それはただの同調圧力では?

 

ドイツでも、空気を読むべき場面はあります。議論大国とはいっても、自分の意見だけわめき散らすのはヒステリックです。いくら白熱した議論でも、「ここで終わり」という空気は読むべきです。

 

でも「顔色をうかがう」という意味での「空気を読む」ことの必要性を感じたことはありません。

 

というか、空気を読まないと思っているわたしでも、「言ってくれないとわからない」「それは言わなきゃ伝わらないよ」と言われることが多々ありました。

自分の意見を言う方だと思っていましたが、「察してくれ」根性が染み付いていたようです。

 

意見を言って、相手の意見を聞いて、話し合う。当たり前だけど日本ではなかなかむずかしかったことが、ドイツではできる。最初は大変だったけど、そのぶんストレスも溜まりづらいです。

 

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生き方に多様性がある

日本では、「こうあるべき!」みたいな圧力を強く感じました。

 

日本は多くの人が日本で生まれ育っていて、日本語が母国語で、「根本的な価値観を共有している」前提で話が進みます。だからまわりとはちがう選択をした人に、当たりが強いんじゃないでしょうか。

 

ドイツにはむしろ、メインストリームがないと思います。EUをはじめ多くの国から人が流入しているので、「こうあるべき」って社会的圧力は感じたことがありません。っていうかそんなの成立しない。

 

ドイツでは、「価値観の共有」なんて無理です。

 

トルコ人がたくさんいますが、両親がトルコ人で生まれも育ちもドイツの人、生まれはトルコでドイツに来た人、トルコ国籍でもメンタリティは「ドイツ人」と言う人、ドイツでもトルコの文化圏で生きたい人。

 

一概に「ドイツに住んでいるトルコ人」といっても、いろんな人がいます。だから生き方や考え方がちがうのが当然。みんなちがうんだから、生き方に寛容になるのも当然の流れです。

 

とはいえ無職だったり転職をひたすら繰り返すとかってなると、「なにやってんだ?」って感じではありますが。

 

置かれたところで咲きなさい?

「置かれたところで咲きなさい」ってことわざだと思ってましたが、本のタイトルなんですねー。読んではいないのですが、アマゾンから引用。

 

結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

置かれた場所で咲きなさい

 

これは一理あるし、この言葉に救われる人も多いでしょう。でも、それは「置かれた場所から動けない時」限定

 

日本人ですから、日本でも生きていけます。20年間過ごしてたし。でも、「自分にぴったりな場所はどこか」って考えたら、「日本じゃないなー」って思った。だからドイツに来た。

 

将来的に戻るつもりではあるけど、いまはドイツの方がいいからドイツに住んでます。

置かれた場所で咲くのもアリだけど、自分にぴったりの居場所を見つけるのもアリ。わたしの場合、それがドイツだったってだけです。

 

ドイツは理想郷じゃないけど自分に合ってる

こんなことを言うと、また「日本批判でうんぬん」と言われそうですが、ドイツは別に理想郷じゃありません。ドイツアゲしたいわけじゃないです。

 

でも、日本の「こういうところがイヤ」と思ったところを、ドイツでは感じたことはありません。

だから、「海外だって同じでしょ」と言われると、「え、全然ちがうよ?」と思います。だから書いた。

 

自分は日本より合う場所があるんじゃないかと思った。だから飛び出してみた。順風満帆だったわけじゃないし、たくさん苦労して辛いこともあったけど、自分には合ってると思ってます。

 

「日本ってなんか合わないなー」と思っている人は、海外に飛び出してみるといいですよ。そっちの方が性に合ってるかもしれません。

 

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