雨宮の迷走ニュース

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必要なのは配慮より理解。傷つく人がいる「かもしれない」論の茶番

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かもしれない運転ならぬ、かもしれないコミュニケーション。日本は「言われる前に気付くべき」「空気を読んで思いやるべき」という不文律があります。

だから、「ちゃんと話し合って理解し合おう」じゃなくて、「その場の空気に合わせて自分をうまく調節しよう」という流れになる。

 

でもさ、それって無理がありますよね。だれかが傷つく「かもしれない」から「配慮しましょう」って、だったらちゃんと話しあえばいいのに……。

 

「かもしれないコミュニケーション」で牽制し合う世の中

f:id:amamiya9901:20170810162231p:plain

イラストを使ってアイキャッチを作ってみました。恐ろしくセンスがないことは自覚しているので、そっとしておいてください。

 

先日、こんな記事を読みました。

職場や飲み会でも一度は必ず聞かれる「彼女(彼氏)いるの?」。

LGBTと呼ばれる人の中には、その一言によって「嘘を積み重ねる」きっかけになってしまうことがあります。[……]

そこに様々な「想定」がないと、人間関係に思わぬ亀裂を生んでしまうことがあるのです。

出典:「彼女いるの?」という聞き方、ちょっと変えてみませんか?

 

ざっくりと言えば「いろんな立場の人がいるから思いやりましょうね」って話なんでしょうけど、わたしはこういう考えが好きじゃありません。

理解を求める前にまず「配慮」を呼びかけて、触れちゃいけないタブーみたいに扱うのが気に食わないんです。

 

ノーヒントで最適を導き出せという無茶振り

LGBTの人がいる「かもしれない」から、「彼女いる?」ではなく「パートナーいる?」と聞くといい。いろいろな想定をすべきだ。

……いやぁ、それはちょっと暴論でしょう。ttps://twitter.com/amamiya9901/status/893727246518800386

 

https://twitter.com/amamiya9901/status/89372724651880038

そんなこと言ったら、「この人は昨日失恋して落ち込んでるかもしれない」とか、「母親が不倫して出て行った過去があるかもしれない」って考えなきゃいけません。そんなの、キリがないですよ。

 

その質問をした女の子はあなたのことが好きなのかもしれないし、その質問をした男の子は自分もゲイで探りを入れたのかもしれません。

相手に関しては「様々な想定」をしないくせに、自分に対しては「様々な想定」を要求するのは、わがままと言うものです。

 

堂々と、「自分はLGBTなので彼女はいませんがパートナーはいます」って答えればいいじゃないですか。

それでゴチャゴチャ言う人間がいたら、それはその人が悪いだけです。好きな人がいてその人もあなたを好きっていうのは、性別関わらずすごく素敵なことなんだから。

 

カミングアウトしてないのに配慮してほしいって、ちょっと無茶振りがすぎます。

そんなの、「熱があったから優先席の前に立ってたのにだれも譲ってくれなかった」と同じです。言ってくれなきゃわかんないよ。

 

「認めてほしい」と言わないのに「配慮すべき」

また、記事にはこう書かれています。

 

Aさんの例のように、飲み会でゲイについて揶揄する人にカミングアウトしたいとはなかなか思えません。逆に、日頃からいろいろな「想定」がある人は、多様性を受容する態度がその言動の端々に現れてくると思います。
例えば「彼女いるの」ではなく「付き合っている人いるの」「パートナーいるの」という言葉を使うとか。

出典:「彼女いるの?」という聞き方、ちょっと変えてみませんか?

 

要は、「空気を読んで言い出しづらい人が多いから、自分から配慮してあげようね」ってことみたいです。

 

でも多様性っていうのは、まず「認めてほしい」側の人間が意思表示して、それを受けた側が「もちろんさ!」と手を差し伸べることなんじゃないですか。

「こんな人もいる」「あんな人もいる」って思いながら人と関わるなんて、わたしはまっぴらごめんです。認めるも何も、言ってくれなきゃわからないもの。

 

コミュニケーション放棄の察してちゃん

LGBTに限ったことではありませんが、自分からコミュニケーションを放棄しておいて配慮を求める人、多すぎませんか。

 

わたしはバセドウ病なんですが、初期はホームドクターが「こんな数値見たことない……!」と目を丸くするほどだったんですね。で、手足のふるえがひどかったので、電車では常に座っていました。

 

ある日の京急本線。優先席で座っているわたしの目の前に、マタニティーマークをつけた女性が立っていました。明らかに「座りたいんです」とまわりを見回してため息をつき、お腹をさすってアピールしてきます。

 

いやいや、一言言ってくれないかな!?そしたらわたしも病気なんですって言えるんだけど!?超居心地悪い!とすごく腹が立ってきまして。

一言「席を譲ってくれませんか」って、なんで言えないんでしょう。

 

自分が配慮を求める側だからか、わたしが病気である可能性なんて微塵も考えていなかったんでしょうね。見た目は健康そのものだし。

配慮を求める側の人は、「言葉にせずともみんなワタシに優しくすべき」とでも思ってるんでしょうか。ちゃんとコミュニケーションしましょうよ。

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求めるのは配慮ではなく「理解」じゃないのか

そもそもわたし、「配慮」を求める考えが嫌いなんです。「LGBTかもしれないから気を遣おうね」「傷つく人がいるかもしれないから様々な想定しておこうね」って、なんで「腹を割って話しましょう」にならないんですか。

 

事実、LGBTに偏見を持っている人もいるでしょう。その人たちに配慮を求めてもなにも変わりません。

そもそも配慮なんてのは、理解がなければ成り立たないんです。どう気を回すべきかを理解しなければ、配慮のしようがありません。理解しない人間は、配慮なんてできないんです。

 

だったら必要なのは、配慮じゃなくて理解じゃないんですか。

 

「LGBTがいるかもしれないから彼女がいるか聞くのをやめよう」ってコミュニケーションを放棄したら、ちゃんと話せばLGBTに理解を示す人ですら「触れちゃいけない話題なんだ」って黙り込んじゃいます。

 

そうやって距離を置くことが配慮ですか?

 

口々に「配慮!配慮!」とお互いを牽制しあうより、ちゃんと言葉に出して互いを理解しようとする姿勢の方が生産的だし、わたしは好きです。

配慮してもらいたいなら、理解してもらえるように声を上げるのが筋ってものじゃないでしょうか。

 

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