海外在住者による日本との比較記事は、批判されることが多い。わたしもそういった記事を多く書いているので、「欧米賞賛」「海外から日本批判してみっともない」「日本は日本だから出て行った人間が口を出すな」といった批判コメントを、何度ももらっています。
最初は正直なところ「海外コンプレックスを持った人はうるさいなぁ」くらいに思っていました。(すんません)
でも最近は、「そういう批判にも一理あるなぁ」と思うようになったんです。人格攻撃は相変わらずうざいけどな!!
海外在住者の記事が叩かれやすい理由
海外に住んでると、「日本とのちがい」がすごく目に付きます。
だからわたし含めた海外在住ライターは、「日本はこうだけどこっちはこうだよ!すごいよね!」って記事を書きがち。
自分が新鮮な体験をしてるから、それを伝えたい。こんな素晴らしいことを知らないなんてもったいないぞ!といった感じですね。
とはいえ、制度や価値観は、その国が歩んできた歴史に根ざしています。宗教や法律なんかにも大きく影響されてます。
それに触れずに「海外ではこうだよ!」って言っても、「日本は日本だから黙れ」ってなるのも当然ですよね。うん。
しかもそういう背景って、海外在住とはいえ、生活してるだけじゃあんまりわからないんです。
日本人でも、「なぜ日本では店員の立場が圧倒的に低いのか」をちゃんと説明できる人は少ないはず。
海外在住者も同じで、現地に住んでるってことで、「なぜその国はそうなったのか」よりも「いまそうである」ことの方に目がいきがちです。
そうすると「労働環境がいいドイツの方がいい!日本も見習え!」みたいな話になって、「ドイツだって移民でボロボロじゃねーか」「わざわざドイツから日本ディスですか」みたいに批判されるわけです。
海外を見習うなら前提条件の確認が必要
一概に「日本もこうしよう」と言っても、ちがう前提で成り立っているちがう国の仕組みを取り入れるのは、かなりハードルが高いんですね。
たとえば、ドイツの話を取り上げたこの記事。
日本で働き方改革を実現するための第一歩は、「労働契約書」の締結を義務付けること
たしかにドイツでは、仕事内容や労働時間、勤務地、有給休暇の日数や病欠の扱いまで全部明記された契約書を交わします。
でも仕事内容や労働時間をすべて記せるのは、前提として「ジョブ型」と呼ばれる雇用形態があるからです。
ジョブ型(日本以外のたいていの国)では、まず仕事があってそこに人間を割り振っていくから、仕事内容も明確で、転勤や人事異動もない。だからジョブ型には労働契約書が必須なんだよ。ひとりひとりの仕事が明確じゃない日本では同じ意味の労働契約書はむずかしいと思う。
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2017年10月15日
「個人の仕事を明確にする」「人事異動や転勤は基本なし」みたいな労働環境がなければ、ドイツと同じ意味での「労働契約書」は作れません。
ちがう国の仕組みを取り入れたいなら、「なぜそうなのか」を調べて、その前提条件を満たさないといけないんです。
でも前述したとおり、現地に住んでればそういう背景を理解できるかっていうと、必ずしもそうじゃない。ちゃんと調べないとわからないことばかりです。
でも「実際目にしてる」という安心感からか、調べない人が多い。(過去のわたし含め)
だから「この国ではこうだよ!いいよね!」と背景に触れずに事実だけを書いても、読者の方には「ただの日本サゲ」に見えるんだと思います。
その国を知らなければ「へー。だから?」で終わる
こちらは優先席をテーマに海外事情を紹介した記事。
係員がやって来て「座るべき優先度の高い乗客が来たら、他の乗客を立たせる」という極端な「運用」を行っているところがある。それは1000両近い日本製中古車両が走るジャカルタの近郊鉄道網(旧KCJ、9月からKCIと改名)だ。
この記事は別に、「ジャカルタと同じように日本でも係員が見回るべき」と主張してるわけではないんですけど。
でも、「なぜジャカルタではそうなったのか」には触れてないんですね。
「だれを優先させるか」は国によってちがう。あと電車の混雑状況や本数もちがえば、対応も異なる。文化背景がちがうものは単純比較はできないと思う
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2017年10月8日
海外でも論争、「優先席問題」は解決できるか ジャカルタでは乗務員が巡回して注意促すhttps://t.co/FilucR4tzz
ジャカルタの電車は常に混雑してて空いてる席がまったくない環境なのかもしれないし、 妊娠中の女性や子どもに優しくない国なのかもしれない。
「優先席が浸透してないから係員が巡回」してるのかもしれないし、「係員が声をかけないとだれも譲らない」からなのかもしれない。いや、知らんけどね。
そう考えると、「海外ではこうだ!」って言われても、「へぇー。で?だからなに?」ってなるのも当然だよなぁと思うようになりました。
実際目にした人からすれば、「ジャカルタでは係員が乗客を立たせてまで優先させる!」って驚くんでしょうけどね。でもそれ、多くの日本人には関係ないですし。
海外系記事が叩かれるのは読者にメリットがないから
わたしもそれなりに「ドイツはこうだよ!こっちの方がいいよね!」みたいな記事を書いてきました。まぁまぁ批判されましたねー。
海外コンプレックス丸出しのうるさい人がいるのも事実だけど、最近はそういった批判も「もっともだ」と思うようになりました。
「ドイツではこうだよ!」とだけ書いても、読み物としてはおもしろくない。「へーそう」で終わっちゃう。
だから必然的に日本と関連付けて書くことになるけど、ドイツ批判に日本を使うと、「じゃあなんでドイツいんの?」って話になるから、必然的に日本批判になりやすい。
そうすると、「日本ディスですか」というコメントがくる。
一番わかりやすいのは、「海外はこうだから日本もこうしよう」系。
「海外の視点から記事を書いてください」って言われると、たいていこの結論になります。これ系は、最初は特に批判コメントが多かったです。
いまとなっては、前提条件がちがう国の仕組みを取り入れよう!って話なのに、その国の仕組みをちゃんと調べず、前提条件の共有をしていなかったから批判されたんだと思ってます。
現実的にどうにもならない提案をされたり、興味のない国を絶賛する記事って、読んでてもつまんないですからね。
海外在住者が情報発信するなら「なぜ」が大事
では、なぜそれでも「海外在住ライター」は「海外在住」ってことで仕事をもらえるのか。
それは、双方の国の根底にあるちがいに触れて日本を相対化することができるからだと思うんですね。
ドイツでは労働契約書を結ぶ。それはなぜか。なぜ日本では結ばずとも仕事ができるのか。日本もそうした方がいいのか。そうすることによるメリットとデメリットは。
ジャカルタでは優先席は係員が見回る。それはなぜか。なぜ日本には係員がいないのか。いた方がいいのか。そもそも優先席の意義とは。
みたいな。
「国と国のちがい」から日本を相対化して、「じゃあこれからなにを考えていくべきなのか」を提案する。
日本以外の国を知ってることで相対化できるっていうのが、海外在住ライターの強みです。
海外在住者が発信できる情報の真骨頂
相対化するためには、その国の文化や歴史もちゃんと知っておかなきゃいけません。
でも海外在住者は「特別な体験をしてる」ことに甘えて、ちがいが生まれる理由を飛ばしてしまいがちだと思います。わたしも含めて。
数値を出して「海外はこうだ!」って言うなら、その社会背景にも触れないとね。たとえば北欧では社会保障が充実してるけど、そのぶん税率が高いわけだし。どんな国や制度も一長一短だから、背景を無視した数字だけの単純比較はむずかしい。ドイツの話を引き合いに出すときは、ちゃんと気をつけないと
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2017年10月17日
海外在住者が発信する情報が貴重がられるのは、日本にない制度や感覚を伝えるからだけじゃなく、「なぜちがうのか」を伝えられる立場にあるからです。
だからこそ、「なぜ」をちゃんと解説しない記事は、「海外アゲ」として批判されるんでしょう。(何度も言うけど自己反省な!!)
もちろん個人ブログなら好き勝手書いていいし、ブログならわたしも好きなように書いてます。現地リポートってかたちなら、ただの報告でも全然アリです。
でも「海外在住ライター」ということでお金をもらって記事を書くのであれば、「なぜ」をちゃんと理解したうえで海外情報を紹介した方が、読んでる人は楽しいよね。
っていう自己反省でした。