「外国語を学ぶより日本語を学ぶべき」論が正しい理由

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英語と国語、どっちの授業のほうが大事?

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もう長いこと、英語教育の重要性が叫ばれています。2020年(来年!!)にオリンピックを控え、その声は日に日に大きくなっていると言ってもいいでしょう。もっと早くから英語の授業をはじめよう、ネイティブスピーカーに授業をしてもらおう……。よく聞く主張です。

 

でもその一方で、「外国語やる前にまず日本語(母語)だろ」という意見もあります。外国語の勉強は、基礎となる母語を習得してからの話だ、という考えですね。

 

わたしはドイツ語を話せますが、「外国語よりまず日本語」論には大賛成です。というのも、多くの人は「母語は勝手にできるようになる」と思っているようですが、「母語で書いたり話したりするトレーニングはちゃんとすべき」だと思っているからです。

 

たしかに、家庭内言語が日本語で常に日本語を使っている子どもなら、勝手に日本語を話せるようになります。だから、日本語を「わざわざ」学ぶ重要性が軽視される理由もわかります。

 

でも、母語はすべてにおいての基礎です。言語の構造上の問題などは別ですが、基本的に母語でできないことは外国語でもできません。母語ができなければ、外国語習得でも苦労します。だから、「まずは日本語」論に賛成なのです。

 

日本語力によって外国語学習の難易度が変わる

後天的に外国語を勉強するとき、思考回路はまず母語なわけですよね。「今日は雨が降っています」を英語で言いたければ、「天気の話のときは主語がitで、今日はtodayだから……」と頭の中で翻訳作業をします。スタート地点はまず日本語。

 

英語を聞いたときも、まずは音として耳に入れ、それを頭の中で書き起こしたりイメージしたりして、日本語になおして理解する。脳内翻訳をするんです。慣れてくれば脳内翻訳せずに外国語で考えながら話せるようになりますけど。

 

脳内翻訳において、母語の能力はとても大事です。なぜなら、母語をちゃんと理解して噛み砕けなければ、対応する単語の選択肢の幅が狭まるからです。

 

以前、「タイタニック沈没には陰謀があるといわれている」と言いたかったことがありまして。

でも「陰謀」なんてドイツ語、知りません。そしたらどうするか。「陰謀」という日本語を自分のなかで解釈して簡易化し、それに対応するドイツ語を探す。「ネガティブな噂がある」や「秘密があると思われている」なんかがそうです。意味合いはほぼいっしょ。

 

でも「陰謀」という日本語の意味自体をよくわかっていなければ、噛み砕いてドイツ語で表現できません。

 

逆の場合も同じです。「Luft nach oben(空気が上へいく)」という言葉の意味を調べると、「Verbesserung ist möglich(良くすることが可能)」だと出てきます。日本語らしくいえば、「改善の余地がある」。

 

よっぽどのバイリンガルじゃなければ、外国語で会話していても、どこかで母語が入り込んできます。そのときに言葉を噛み砕いて理解し、対応する単語を見つける力が大事になる。その基礎が、日本語力、母語を扱うレベルです。

 

 

 

母語の能力が高いとはどういうことか

外国人との会話に慣れている人は、この言葉の噛み砕きがとてもうまいんです。相手がわかるように言うことができる。自分でいうのもアレだけど、わたしもこれはめちゃくちゃ得意です。

 

日本語を学んだばっかりの人に「仕事はやりがいがある?」なんて聞く人がいますが、「やりがい」なんて言葉、わかるわけがありません。

相手が理解していないことに気づいてゆっくり言い直す人もいますが、知らないんだからゆっくりでも伝わらない。で、相手に「どういう意味か」と聞かれても、「やりがい」を簡単に説明できない。

 

日本語能力が高く、噛み砕き、解釈する力が身についていれば、「仕事は楽しいか」「仕事でいろんなことを勉強できるか」なんて聞き方にかえることができます。もちろん、細かいニュアンスはちがいますけどね。

 

日本語能力が低いと、これらができないんです。説明ができない。簡単に伝えることができない。解釈をしてわかりやすくすることができない。

「やりがい」を「充実感がある」のように、なおさら外国人が知らなそうな言葉で言い換えてしまう。

 

ドイツ人にドイツ語の意味を聞いても、説明のわかりやすさは人によって大きく異なります。説明が得意な人は、すごくかんたんに、わたしが知ってる語彙で説明してくれる。例文も、理解の手助けになるものをすぐ用意できる。

でも、説明が苦手な人だとそうはいきません。だって本人がその言葉をちゃんと理解できていないんですから、説明なんてできるわけがない。

 

母語の能力が高いというのは、言葉を操る力が高いということ。それは、「言葉をどれだけわかりやすく説明できるか」で測れると思ってます。そしてこの力が高ければ、外国語学習にも役立ちます。

 

個人的に、「子どもが苦手」だという人の一部は、「子どもがわかるように説明する」ことが苦手なんだと思います。子どもの「なんで」に対し、わかりやすい言葉を用意してあげられず、コミュニケーションがとれない。そういう側面もあるんじゃないかなぁなんて思います。

 

 

 

日本語を通じて日本文化を学ぶ重要さ

言語というのは、コミュニケーションのツールです。言語の背景には、その国の文化や宗教観などがあります。

 

たとえば、「諸行無常」という言葉は仏教に関する言葉。平家物語が読まれた背景には、仏教的な価値観があったことがわかります。「雨ニモマケズ」なんて、すごく日本人らしい考えだなぁなんて思います。

 

日本語が話せる=日本語を理解している、これ以上勉強する必要はない、じゃないんです。日本語を理解したうえで、日本語の背景にある日本という国を知っていく、それが国の言葉、「国語」という教科だと思ってます。

 

で、日本という国を知らなければ、ヨソの国の理解もできません。比較できないし。ヨソの国の人になにか聞かれても答えられませんし。なににおいても基礎となるのは母国であり、母語。海外に住んでいて強く思ったことです。

 

まぁ理想でいえばがっつり国語やって英語もペラペラに、なんだけど、「英語をペラペラ」にもっていくためにはまず日本語力が必要だと思うわけです。だから、英語か日本語かどっちかという話になれば、「まずは日本語」。

 

英語をはじめとして外国語を学ぶことも大切ではあります。でもそれは母語という揺るぎない基礎が出来上がってからでも遅くはない。早期化すりゃいいって話でもなければ、外人呼べばどうにかなるってことでもない。

 

まずは日本語力。もっと「国語」に価値を置いて、日本語を使いこなす練習をしていくほうが、子どもたちにとっていいことだと思います。