海外在住歴マウントという闇の世界へようこそ

スポンサーリンク

わたしがうっかり片足突っ込んじまった、『海外在住歴マウント』という闇の世界。呼んで字のごとく、「海外在住歴が長いほど偉い」という法則で成り立っている世界です。クソゲー。

 

海外在住歴マウントとはなにか

f:id:amamiya9901:20181127152009p:plain

ドイツに留学すること1年。移住して……もう4年と少し。気づいたらもう5年もドイツに住んでいるようです。あっという間です。ワーホリで就活失敗したり、大学入学したけどグループワークでブチギレて大学辞めたり、バイトで自分の無能さに打ちひしがれたり、バセドウ病が発覚してフリーランスになったり、本を出したり……いろいろした! 本当!

 

わたしなりにいろんな学びがあった5年なので、失敗も多かったですが後悔はしていません。

 

しかし恐ろしいことに、自分なりに満足しているわたしのドイツ生活を否定してくる輩がいるのです。それはだれか? 同じく海外に住んでいる日本人ですよ! おー怖!!

 

 

いやこれマジだからね。怖くない?

 

インフルエンサー様であらせられるめいろまさんにも、「まだわかってない」「若い子の言うことは~」的なことを言われたことがありました。「交友関係がよくない」とかも言われましたね。

 

海外在住の先輩さんチーーーーッス!!(ずいぶん前のことであんまり覚えてない)

 

ちなみにわたしの本に関しても、「在独歴◯年ですがこの人のいうことはまちがっています」「ドイツで×年働きましたがそんなことありませんでした」というお言葉をいただきました。

この前なんて、「世界の広さを知っているわたしとしてはこの人の言うことは〜」とか言われましたからね。

 

そういうこと言われないようにできるだけ信頼度の高い統計を載せてるのに、政府統計より自分が見聞きした世界のほうが正しいと思ってるんだからびっくりですわ。

なんで他人の体験は丸ごと否定なのに、自分の体験は普遍的な信用できる事実って思い込めるんだろう。「自分とはちがう体験をしてるんだなぁ」とは思えないのか?

 

なぜ『在住歴』がステータスになるのか?

正直「うるせぇなこいつら在住歴しか自慢できねぇのかよ」と思うのですが、そもそもこういった人たちは、なんで在住歴が自慢できるものだと認識しているんでしょう。

 

それは主に、2つのパターンがあるからじゃないかなぁと思います。

 

まず、海外で波乱万丈な人生を送り、それを乗り越えてきた自負がある人。つまり、「自分はこの国でいろんな経験をしてよく知っている」と思っている人です。

 

だから、自分が知らないドイツについて書かれると腹がたつ。自分とはちがうドイツについての解釈を認めない。なぜなら、自分のほうが知っていると思いたいから。自分のほうがわかってると思いたいから。 

 

もうひとつは、海外生活に馴染めていないタイプ。駐在員の妻として移住したり、国際結婚を機に移住したりした人が多い。気がする。

海外生活に馴染めてないからつまらない。充実してない。でもなんかダラダラ過ごしてる。『在住歴』に価値を見出さないと、なにもせずに過ごしている自分が虚しくなる。だから「海外に住んでいる」ことをプライドにマウントとりたがる。

 

個人的に、海外在住歴マウントする人はこのどっちかのパターンじゃないかと思っています。

 

 

 

量と質は伴ってこそ価値がある

長いこと住んでいる人はそれなりに経験や知識があるんでしょうし、ドイツに1ヶ月ホームステイしてドイツを知った感じで語られたら違和感をもつのも事実です。在住歴に価値がないとは思いません。

ただ、『在住歴』だけではなにも測れないというだけで。

 

たった1年の滞在でもすごく濃い経験をする人もいるし、10年住んでもまともにドイツ語を話せない人もいます。

留学生と現地で就職した人が感じるドイツはちがうだろうし、子どもがいるかどうか、住んでいる地域がどこかでも、体験するドイツはちがいます。

 

それなのに、「10年住んでいるわたしからしたらあなたはまちがっている」と言われると、「ちがう角度からドイツを見てるだけなのになに言ってんだ」と思います。もう5年住んだらわたしはあなたと同じ経験をして知識を得るのか? それはちがうでしょう。

来たばかりの人が伝える新鮮な情報というのもとても価値がありますし。

 

だから『在住歴』だけでなにかを測ることはできないというのが、わたしの持論です。

 

さらにいうなら、在住歴という『量』は、『質』がともなってこそ意味のあるものだと思います。

いろいろな経験をし、学び、考える日々を送ることで、『在住歴』に意味が生まれてくる。ただ住むだけなら、引越すだけだからだれでもできるしね。

 

『質の高い量』、つまり充実した海外生活を長く送ることではじめて『在住歴』の価値が高まるんじゃないかと思います。

 

充実した生活をしてれば海外在住歴マウントは不要

ただ思うのが、充実した海外生活を送っていれば在住歴自慢しなくていいんじゃね?ってこと。

 

言いたいことがあるなら、統計や史実、具体的な出来事などを引き合いに出して「これはこうだよ」と言えばいいのであって、「こんなに長く住んでるんだからわたしが正しい」と主張する必要はないですよね。

 

『海外在住歴の長さ』が『正しさの根拠』になるというのは思い込みです。

いや、在住歴が無価値だとは思いませんよ。先輩方をコケにするつもりはまったくありません。でも『在住歴』は正しさの根拠として、あまりに主観的で弱いです。

10年サッカーをやっている人より3年しかやってない人のほうが、質の高いトレーニングメニューを提案できたりもしますからね。

 

さらにいうなら、わたしは在住歴が長くなればなるほど、自分の知らないことの多さを痛感して「まだまだだなぁ」と思います。

「長く住んでいるからすでに全部理解している」と思っている人は、今後新たな気づきや学びがない気がします。

 

というわけでわたしは海外在住歴でマウントはとらないようにしたいし、もしそういう人がいたら「先輩チーーーッス」って言って帰宅しようと思います。お疲れ様でした。