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なぜ日本人は「人見知り」を自称する?空気を読まないと話せない人たち

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日本って、「自分は人見知りなんだ」って自己申告してくる人多すぎませんか? 感覚的には10人中8人くらいが臆面もなく人見知りアピールをしてくるんですけど、本当に日本には人見知りばっかりなんでしょうか?

 

なんでみんなが「人見知り」を自称するのかについて、考えてみました。

 

日本はなぜ自称「人見知り」ばかりなのか

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人見知りっていうのは、主に初対面の人間に対してうまくコミュニケーションできない性格のことを指します。

子どもなら「恥ずかしがりや」、大人なら「内気」と言われます。

 

子どもならまだしも、本来いい年をした大人なら「人見知り」であることは決して威張れることではありません。

それなのに、日本ではみーーーんな「人見知りなんだよね」と申告してきます。本当、かなりの確立で。

 

なぜみんな堂々と「人見知りだ」と自分から主張するのか。人見知りをしないわたしからすれば、ずっと不思議でした。

 

自分の立ち位置がわからないと話せない日本人

そんなわたしですが、『「空気」と「世間」』という本のなかで、おもしろい主張を見つけました。

 

日本人は「世間」の保障がないまま、知らない相手とコミュニケイションを取る、ということがひどく不得手なのです

 

「世間」の定義は長くなるので触れませんが、要は相手の立場や年齢を知った上で「自分はどういうポジションで話すべきか」を理解しないと、日本人はコミュニケーションできないというのです。

 

例として挙げられているのが

・大多数のパーティーでは、日本人は立ち往生してしまう。見知らぬ参加者たちがパーティー主催者とどういう関係でどういう立場かわからないから。
・名刺をもらって相手の立場がわかると、とたんに話せるようになる

 

なるほど、とても納得します。

 

立ち位置がわかれば空気が読める

そうすると、「なんで立ち位置がわからないと話せないのか」って疑問に思いますよね。それは、「自分の立ち位置がわからないと空気が読めないから」じゃないかなと思います。

 

上の例でいえば、友だちのホームパーティーに行ったら、知らない人ばっかりだった。主催者の友だちは他の人と話していて気を利かせてくれない。さて自分はだれとなにを話せばいいのか。わからなくて立ちすくんでしまう。そんな感じでしょう。

↑わたしもドイツでパーティー文化に馴染むのに苦労しました(いまだに苦手)

 

でもそこで、「このグループはみんなわたしの後輩なの」と言われたら、「じゃあ自分より年下だな」と位置づけができますよね。

「この子はあなたと同じ横須賀出身よ」と言われたら、「横須賀の話をすればいいんだな」とキッカケがつかめます。

 

相手に関する情報を得て立ち位置を把握したら、空気が読めるようになるんです。年上だから敬おう、友達の後輩なら面倒を見てやろう、肩書きが上だから丁寧に話そう、みたいな。

 

でも相手に関してノーヒントだと、読むべき「空気」が形成されていません。だから「なにをどう話していいかわからない!」っていう人が多いんじゃないかな。

 

空気を判断するまでの時間稼ぎが「人見知り」

「この人と自分はお互いどういう位置に立って話すべきか」が決まらないと、その間に流れる「空気」もよくわかりません。

だから、とりあえず「空気」が形成されるまで様子見をする。この「様子見」期間を、日本人の多くは「人見知り」という言葉でごまかしてるんじゃないかと思います。

 

相手がどんな空気を作るのか、どんな立ち位置の人なのか、立場はどうか、それを見定めるためには、少し時間が必要です。

だからその時間を埋めるために、「人見知り」を使うんです。

 

実際、「人見知り」と言ってる人だって、相手のプロフィールをある程度知ってたら初対面であってもちゃんと話せる人が多いはずです。

(少なくともわたしのまわりの自称・人見知りはみんなそう)

 

自称・人見知りでも、接客業をしてる人はたくさんいます。それは「店員」と「客」という立場がわかっているから話せるんじゃないかと思います。

 

そう考えると、日本でいう「人見知り」は「内気」ではなく、「空気を読まないとなにも話せない人」という方が意味合い的には近そうですね。

 

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人見知りではない!と言える人は空気を作る側

じゃあ逆に、「人見知りではない」と言う人は、どういう人なのか。それは、空気を読む必要がないと思っている人、自分で空気を作れちゃう人です。

 

わたしは、日本人にはまったく人見知りしません。

初対面の人と出会うと、どれだけ早く仲良くなれるかに全力を注ぎます。とにかく盛り上げようとします。

 

そういう考えの人間なので、相手の出方をうかがったりはせず、こっちから「あなたと仲良くしたいです!」オーラをガンガン出します。

そうすると結果的にわたしが空気を作っていることになるから、「人見知り」を感じないんじゃないかな。

 

逆に、ドイツではびっくりするくらい人見知りなんですね、わたし。

それは「外国人であるわたしをどう思うんだろう。ドイツ語がヘタだけど平気かな」と、相手の様子をうかがうクセがついてしまったからです。

 

様子をうかがってる間は、会話の主導権は完全に向こう。どこに出してもおかしくない人見知りです。

相手がわたしに興味を示してくれたり、相手がどんな人間かわかってくると、やっと話せるようになります。

 

そう考えると、自分で空気を作れるかどうかが、「人見知り」の判断基準といえますね。

 

ドイツで「人見知り」に出会わないのは、年功序列や日本のような敬語がなく、「空気なんて知らんわ」スタンスだからでしょう。

 

自称・人見知りをやめて空気を作れる人に

わたしはいままで、たいして内気ではないのに人見知りを自称する人を不思議に思っていました。

「人見知りだからなに?こっちに気を遣えと?っていうかお前人見知りじゃないだろ」みたいな。

 

 

「わたし人見知りです」って都合のいい言葉に逃げて相手の様子をうかがうより、積極的に相手を知ろうとして一緒に空気を作り上げていけるような人の方が、魅力的じゃないですか?

 

自分のことを「人見知りだから理解してね」って言うんなら、相手のこともちゃんと理解しようと務めないとフェアじゃないですよね。

で、お互いが理解したいと思っていたら自然と空気は生まれるわけで、様子見する時間なんて不要です。

 

人見知り自体が悪いことではないけど、「人見知り」って言葉を利用して様子見するくらいなら、積極的に空気を作れる人の方が素敵じゃないかな!って話。

 

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