みなさん、『山一證券』ってご存知ですか。「バカにしてるのか、当然知っている」という人も多いだろうけど、平成生まれだと知らない人も結構いるんじゃないでしょうか。
山一証券という会社は『四大證券』と呼ばれた大手企業で、当時山一に就職することは「人生安泰」を意味するような会社だったようです。しかし、山一は潰れました。いまはもうありません。
そしてその最後の瞬間を垣間見ると、「いまの若者たちはオッサンたちが生きてきた時代を知るべきじゃないのか」という気持ちになるのです。
しんがりを任された山一證券の12人
最近ノンフィクションにはまっていて、『しんがり 山一證券最後の12人』という本を読みました。
山一證券は、四大証券会社の一角。終身雇用が当たり前の1997年、その大企業がつぶれました。いろんな不正をやっていて、それがバレて、その規模があまりに大きく、どうしようもなくなっての自主廃業……という経緯です。
なぜそんなことになったのか。それを調べるために、12人の『しんがり』が立ち上がる。これが、本書のざっくりとした内容です。
1991年生まれのわたしは、山一證券の社長が号泣しながら会見したとき、まだ6歳。『ヤマイチ』なんて言われても、「お父さんとお母さんが話していた潰れた会社のことだなぁ」くらいのイメージしかありません。
山一消滅からたった20年。それでもわたしは本を読みながら、「昭和的な働き方」にかなりのジェネレーションギャップを感じました。
年功序列や終身雇用は崩壊したと言われ、転職も当たり前になり、多様な働き方が求められるようになった現在。オッサンが若者を理解できないのも当然です。
でも逆に、若者もまたオッサンを理解できていないんですね。この本を読み進めるうちに、「オッサンは若者を理解しない!」と文句を言うだけでなく、「若者もオッサンを理解すべきじゃないか」と思うようになりました。
「会社が人生」という昭和の働き方
『しんがり』を読んでいると、当時の『会社』という存在がいかに大きかったかを痛感します。
山一では社内結婚が多く、また、自社株買いを推奨していたようです。驚くことに、「山一の株を売って老後を過ごそう」と思っていた社員が結構いたのだとか。社員の多くが高度経済成長やバブルを経験していたことも影響しているのでしょう。「株価は上がる」と信じられた時代なのかもしれません。
以下、かなりのジェネレーションギャップを感じたシーンの引用です。
山一という共同体でつながる社員
印象的だったのは、社員同士の関係性です。わたしが想像できないくらいに濃いんですね。終身雇用を前提としていた時代の人々がもっていた、「同じ会社で働いている」という仲間意識の強さを感じます。
■関連会社に天下っていた元山一の役員が地検特捜部に出頭する場面
「私が(罪を)負わないと、部下たちに迷惑が広がっていきますからね」
うつむいたその目に涙がにじんでいる。
「彼はもう山一から出て、うちの社員ではなくなっているのだから、ケアをする必要はないのではないか」と言った山一幹部がいた。そんな薄情な本社の幹部もいるのに、この元役員はいま、山一時代の責任をとろうとしている。
わたしはこの山一幹部を、薄情だとは思いません。もう山一の人じゃないし、当然じゃない?とすら思います。
そしてこの元役員も、「悪いことをしたから償う」のではなく「部下のために自分を犠牲にします」というのもよくわからない。悪いことをしたなら自分が悪いのだから「だれかのために罪を償う」のは妙だし、悪いことをしていなければ「自分は悪くない」でいいのに。
でもたぶん、そういうことじゃないんだろうと思います。『山一』という共同体が大事で、そこにおいて『誰』が『何』をやったのかは、あんまり重要じゃないんでしょうね。
■清算業務センター立ち上げの場面
「幕引きの業務があるんじゃがなあ」
「はい」
「しばらくわしに命を預けてくれんかね」
「菊野さんがそう言うのなら手伝いましょう」
「江戸時代の侍ですか?」と思うのですが、たった20年前の話です。20年前はこのように、「信頼した先輩についていく」という関係が成り立っていたわけです。いや、いまもあるのかもしれないけど。でもわたしには想像つかない信頼関係です。
こういう関係性を築いていた世代の人たちからすれば、「飲み会はパスで」と言う若者の思考回路なんて、まったく意味がわからないでしょうね。
『会社』という家族を愛す精神
ではなぜ、こんなにも濃密な人間関係が築かれていたのか。それを考えると、『会社』自体が、「愛情をもつ対象」だったことが理由にあると思います。
わたしにとって勤め先は、「愛着」や「愛情」をもつ対象にはなりえません。働きやすいか否か、だけが大事。あと給料。
でも定年まで勤める前提で入社し、家族ぐるみで社員と付き合い、社内結婚も多い環境では、『会社』は居場所のすべてであり、愛情の対象になりえたんですね。
わかりやすくいえば、『会社=家族』。つまり自分は山一家の息子のひとりで、社長がお父さん。上司はお兄ちゃん。
いくらお父さんやお兄ちゃんが悪いことをしようと、それでも家族。『山一』という家を支えるのは当然の義務だし、どんな形であれ家族は幸せでいてほしいと願うのもまた当然。
きっと、『会社』はそれくらい大事な存在だったのでしょう。
■山一の行く末が危ぶまれ、株価が暴落していく場面
終値が百円を切るのは山一が上場して以来初めてのことであった。
そんな時に菊野は一万五千株を自己資金で買った。誰にも言わなかった。
「会社の応援だなぁ。まあ勘弁してくれよ」
「会社の応援って、会社は違法行為をして自爆したんですよ? なんで悪いことをやっていないあなたがわざわざ損するんですか?」なんていうのは、野暮なんでしょうね。
暴飲暴食で体を壊した親の医療費を払う子どもに、「なんでそんなことをするんだ、自業自得だろう」なんて言いませんよね。会社=家族だと思えば、この気持ちもわかります。
■清算作業を行った社員の手記を紹介する場面
社歌を口ずさみながら、知らず知らずに何故か目頭が熱くなり、涙がこぼれた。私は山一證券をプライドを持って、心から深く愛し続けてきたのである
社歌なんてあるんだ……という素朴な驚きはさておき。
会社をなくすための清算作業は、実家解体のようなものでしょうか。いろんな思い出が詰まった家が木くずになっていくのを見れば、だれだって泣きたくなりますよ。
この時代の人々にとって『会社』とは、自分が生まれ育った生家と同じように「自分のすべてを受け入れてくれた場所、苦楽をともに過ごした場所」なんだろうなぁ。
■1998年3月31日、全社員解雇の日の場面
「あの金看板をこっそり持って行った社員がいる」
東京の社員たちの間に、そんな噂が流れた。
「死んだ会社の看板など、いまさら何にするのだろうか」
「いや、いつか山一を再興しようという人がいるらしいぞ。あれを押し立てて」
「お家再興か。錦の御旗も必要だからなあ」
会社再興を「お家再興」と表現するのは、まさに会社=家族的思考ですよね。
会社は生き物ではない。だから、「会社が死ぬ」なんて表現には違和感を覚えます。でも彼らにとって会社は「生きた共同体」だったのでしょう。「家族」という名の。
たった20年前の『当たり前』
これは、たった20年前の出来事です。でもわたしは、すごく大きなジェネレーションギャップを感じるんですね。まぁそれは、わたしが長く企業に勤めた経験がないからかもしれませんが。
いまの20代も、30年勤めたら同じような愛着をもつのかもしれません。現代で30年同じ会社に勤める人なんてどれくらいいるの?って話ですが。
当時40歳だった人は60歳。まだ現役です。この時代を生きた人たちが、「飲み会に来ない部下の扱い方がわからない」「お見合いを勧めたらセクハラと言われた」とボヤくのも当然でしょう。
一生懸命汗水たらして『家族』であった会社のために働いていたのに、子どもたち(いまの若者)はなにを考えてるのかさっぱりわからない。理解しようとしても、「老害」「古い」「わかってない」と言われる。
そう考えると、「さみしいだろうなぁ」なんて、ちょっと同情というか、切ない気持ちにすらなってきます。
わたしたちだって、あと20年もすれば、「ものわかりの悪い中年」と言われるかもしれません。オッサンの悪口ばかり言ってられない。
オッサンたちの時代を知ることで未来を語れる
働き方改革うんぬんで、未来に目を向けることが多い昨今。
未来はもちろん大事です。でも未来は過去の積み重ねだから、過去のことを知らないとなににもなりませんよね。この本を読んで、それを痛感しました。
「もう終わったこと」とバカにするのはかんたんです。でもそこには、それが正しいと思って一生懸命生きていた人もたくさんいるわけじゃないですか。それを軽んじるということは、未来を担う次の世代から、現在が軽んじられるということです。それってなんかイヤだよね。
若い人は「オッサンは頭が固くて俺たちの世代をわかってない」って言うし、わたしもそう思うこともあります。でも、わたしたちだって、そのオッサンたちが一生懸命生きてきた時代を知らないじゃん。
部下のために身を差し出す覚悟をもった上司とか、上司のひとことで年収ダウン承知で転職を即座に受け入れた部下とか、社歌を歌うだけで泣いちゃう社員とか、私財をなげうって会社を支えようとした社員とか、そういう人たちがいた時代なんだよ。そういう時代があったんだよ。
それを「昔の話でいまはちがう」と言ったところで、その時代がなかったことにはならない。わたしたちはその線路の上を歩き続けているんだから。
だから若者も、オッサンが生きた時代をもう少し知った方がいいんじゃないかなぁ、なんて思ったわけです。