せっかく文章を書くなら、多くの人に読んでもらいたいですよね。そのためのノウハウとして、よく「専門性が高い記事を書け」といわれます。まぁ専門性が上がれば上がるほど書ける人が限られてくるからね。気持ちはわかる。
でも、「専門性がなければ読まれる記事は書けないか?」と聞かれれば、答えは「NO」です。現にわたしは専門性なんてとくにないけど、100万回以上読まれた記事を何度も書いてるからね!!ははん!!
100万回読まれる記事を書いた凡人
わたしはいままで、100万回以上読まれた記事を何度か書いています。2年ちょっとのライター生活で、10回はある。と思う。50万回以上読まれた記事だと、それなりの数いってると思います。
掲載メディアの知名度が高い&やり手編集者の方のバックアップありきなので、「俺ってすげぇだろ!?」といばるつもりはありませんが。
ただ、専門性が高いわけでもなく、なにかしら秀でたスキルがあるわけでもなく、有名なわけでもなく、紛争地で取材したわけでもない人間でも、たくさん読まれる記事は書けるんだよーってことをお伝えしたいのです。
だってみんな、「読まれたければ専門性を高めて差別化すべき」って言うじゃないですか。いや、そんなんできたら苦労しねぇわ。っていうかそのへんのライターやブロガーがいう「専門性」なんて、そこそこの読者層にリーチした瞬間、鼻で笑われるレベルだから。どんな分野でも自分より詳しい人は世の中にいっぱいいるんだよ!
だから言いたい。専門性はあったほうがいい。でも、専門性がなくたって読まれる記事は書ける!!
モヤモヤを言語化するだけでいい
「よく読まれた記事ってどんなんかなー?」って考えると、全部『身近にあるモヤモヤを言語化した記事』なんですよね。みんな思ってるけどあえてちゃんとは考えない、なんか違和感があるけどその理由はよくわからない、みたいな。
みんなが適当に流してるモヤモヤを拾ってうまく言語化したら、めっちゃ読まれます。「あーそれ! いつも思ってた!」「なんかモヤっとしたのはそういう理由だったのか!」ってなりますから。頭よく言うとカタルシス。バカっぽく言うとアハ体験。
「むずかしいことをわかりやすく解説する」に需要があるのは当然だけど、「多くの人が感じるモヤモヤを言語化してスッキリさせる」というのもめちゃくちゃ需要があると思うのよ。多くの人は、モヤっとしつつも言語化をしないし、そのモヤモヤの正体がわからず違和感をもち続けているから。腹に落ちる
— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) September 29, 2018
綿密な取材をして新たな情報を報じたり、社会問題を独自の切り口で分析したり、そういうことをする人は本当にすごいと思います。わたしだってそういうのやりたいけど、あいにくと知識が圧倒的に不足している自覚があるので、今のところどうにもなりません。
じゃあ凡人ライターができることはなにか。それは、考えることくらいなものです。
だから、考えるんです。小さな違和感、不快感、納得いかないところ、理不尽。それがなぜ起こるのか、なぜそうなっているのか。どうすべきか、自分はどうしたいのか。
そういう素朴なマイナスな感情や疑問は、多くの人に届きます。そして思考のゴールがほかの人より一歩でも先であれば、「鋭い考察」になるのです。イエーイ。
格好いい凡人はいらない
ここで大事なのは、「かっこいい凡人はいらない」ってこと。いやね、わたしだって、最初は格好つけてましたよ。頭いい雰囲気出して、頭いい感じの文章書いてさ。でもそれって、しょせん「頭いい風」でしかないんです。
実力や知識がある人ならば、多少偉そうだったり、虚勢はったりしても、「まぁメンツやプライドがあるんだろうなぁ」と理解できます。
でもなんにもない凡人がかっこよく見せようとするのは、ただの背伸び、虚勢です。そういうのいらないんです。だってバレるから!! 痛々しいから!!
わたしもいろんな記事を書いてきたけど、「わかった風」の記事はやっぱり読まれません。そういうの、バレちゃうんですよね。「こういう失敗しました! つらい!」って素直に書いた方が読まれるんです。
凡人はおとなしく、素直であるべき。それがわたしの持論です。背伸びした瞬間にこざかしさが出て、人の心には届かなくなります。
みんな、格好つけようとしすぎだよ! 格好つけてもたいしてすごくないから諦めて素直になっとけ!!
求められてるのは一流だけじゃない
「この人じゃなきゃ書けない記事」というものがあれば、そりゃあいいと思います。単価も上がるしな(リアル)
そして、多くの人はそういう人になりたいと奮闘しています。専門性を高めろ、知識を組み合わせろ、いろんな経験をしろ……。
いや、わかるよ! たしかに正しいとは思うよ! でもそんなかんたんにオンリーワンになれるならもうなってるから! とも思うんです。
わたしの代わりのライターなんて、いっぱいいるわけよ。謙遜でもなんでもなく。でもわたしは、それでもいいかなって思ってます。
「この人じゃなきゃダメ」にはもちろん価値があるけど、「この人じゃなくてもいいけどこの人がいい」って思ってもらえるのだって、すごく価値があると思うから。
何度も言うけど、専門性はあったほうがいい。なれるなら一流になるべき。でもさぁ……そんなかんたんじゃないし、そこまで無我夢中になれないし、自分のキャパの天井だってあるじゃん。
でも、たいして能力がない凡人でも、一生懸命考えて手を動かせば、多くの人に読んでもらえる記事は書けるんだよ。経歴や知識が心もとなくとも、人の心に触れて、なにか伝えることはできるんだよ。
だから、上ばっかり見てないで、足元に転がってるチャンスにもっと目を向けるといいんじゃないかなーと思います。スキルや知識、経験がなくとも、やり方によってはどうとでもなる! 100万回読まれる記事も書ける!!
だがしかし! メディアの知名度と編集者の方の腕によるところも大きいから、「みんなにチャンスが平等にある」とは言えません。
だからこそ、大きなメディアで書けるような人間になるため、コツコツ努力するわけですよ。北海道旅行で胃もたれしてる場合じゃねーぞ自分。