なんかさ! 議論しない人多すぎなの!! 人間なんだから、考え方は千差万別なわけで、意見が食い違うのは当然じゃん。
それなのに、なんで議論を避けるの? いや、そりゃかんたんだよね、無視すればいいんだから。全員とわかりあう必要はないわけだし。でもさ、ちょっと話せばわかりあえることも放棄して、「自分の考えを貫く。他人の意見は聞かない」ってどこのおバカさんよ。
議論を避ける人って、他人の意見はすべてまちがえていて、自分が正しいと思ってるよね。だから陰険なんだ!!
議論を避ける理由はなに?
わたしが、「議論を避ける人は陰険だ!」と言います。あなたは、「議論を避ける人でも陰険じゃない!」と考えたとします。そしたら、「なんでそう思うのか」聞きたいじゃないですか。ちがう意見を持ってるんだから。
でも、日本じゃなかなかちがう意見を言えませんよね。っていうか場合によっては友達関係や恋人関係が終わることすらある。それって自分の意見が絶対と思ってるから、他人の意見を受け入れられないんじゃないの?
議論を避ける理由1:できない
しょうもないけど、多くの人はこれなんじゃないでしょうか。日本は議論する機会が少ないですからね。
その人とはちがう意見を言うことができずにモヤモヤしたままだったり、反対意見をちゃんと自分の中で消化できずにイライラしたり。自分とはちがう意見こそ大切で、反対意見にこそ耳を傾けるべきなのに、同調圧力が強すぎてそれができないんでしょうね。
あと、反対意見=人を傷つけるって思っている人もいるそうで。残念ですね。反対意見がなければ成長できないこともあるし、物事はいろいろな視点で捉えたほうが理解できるのに。
議論を避ける理由2:面倒くさい
傷つけちゃうかも、みたいな心配をしていると、議論することが面倒くさくなりますよね。一部の人は論点をずらして個人攻撃をしてくるので、たしかに面倒くさいこともあるでしょう。
でも「面倒くさい」からって、他人の意見をすべてシャットアウトしても、どうにもならないですよね。そのときの面倒くささはなくなるかもしれないけど、それ以上何もいいことはないです。ただ「面倒くさい」と議論から逃げただけ。
100人全員と議論する必要はないけど、面倒くさがって議論を避ければ、余計なわだかまりを残してさらに面倒くさいと思うんですよねぇ。
議論を避ける理由3:自分の意見絶対主義
ネットを見ていると、自分の意見が絶対だと思っている人がいます。その人たちは、自分が正しいんだから議論する必要はなく、ブロックすればそれで済むと考えています。ネットで影響力を持ちはじめた人が陥る、高飛車なかんちがいです。
「わたしはこう思います」というコメントに対して、「そんなんだからお前は失敗するんだよ」と逆に挑発してくる人っていますよね。それは高飛車すぎです。
自分の意見が絶対だと思っている人は、なぜだか挑発するんですよね。「俺が正しいのに、お前なに言ってんの?w」みたいな。ガキです。
自分の意見が正しいんだから、なぜそれを受け入れないの? って考え方では、議論になりません。挑発することで自分の優位を保とうとする、ガキです。
議論を避ける理由4:ネットだから
ネットって、簡単に人間関係を築けるし、かんたんに壊すこともできますよね。その気軽さから、ネットにはなに書いてもいい、という人がいます。それはとんだ思い込みですね。
「ネットのことなんて気にするな」という考えも一理ありますが、SNSなどで反論すると、「ネットのことなんだから真に受けるな」「ネットごときに本気になるな」と返す人がいます。議論の放棄です。
そういうリアクションをとる人は、ネットならなにを書いてもいいと思ってるんでしょう。
ネットには書き手と読み手がいるわけで、受け取って欲しくないのならネットに書き込むべきじゃないですよね。相手がいる前提のインターネットなわけで、反対意見を許さないんならネットに書かなきゃいいわけです。受け取り手が不特定多数なんだから、その多様さを受け入れられないんなら、ネットに書くべきじゃないでしょ。
議論を避ける理由5:無意味だと思ってる
1から4の理由を総合してみると、結局の場合、「議論なんて無意味だ」って思うから議論から逃げるわけですよね。でも、時と場合によりません?
知らない人から、「てめぇふざけんなよ!!」って言われたら、そりゃあ手を尽くして議論しようと思っても無意味でしょう。相手がその気じゃないんだから。
逆に、「なるほど。こういうところは納得するけど、こっちはちがう意見だ」というリアクションがあったとして、そのちがう意見を知ることは、本当に無意味なんでしょうか。
「俺はこういう意見だ! 議論は必要ない!」って言い分が通るのはお殿様ぐらいなわけです。反対意見ともうまく付き合わなきゃいけないじゃん。で、自分と180度ちがう意見っていうのは、ふつうに面白いんですよね。
自分に同調する意見だけを聞いていることこそ、無意味です。「すごーい!」「わかるー!」なんて言われててもしょうがないでしょ。反対意見を知ることが、本当に無意味だというんですか?
議論を避ける理由にはならない
ぱっと浮かぶ「議論を避ける理由」を書いてみましたが、どれもなんか納得いかない。
ただ逃げているようにしか思えません。そんなに他人からちがう意見を言われるのがイヤなの? だったら自分の意見を言わなきゃいーじゃん。そしたら反対もされないよ。
議論を避けるのって、自分の意見を押し通して、他人の意見なんかには耳を貸したくないからなわけですよね。心狭すぎですよ。
自分のイエスマンだけ囲って、「俺はこうなんだ!」って宣言してもダサいですよ。子どもすぎです。
議論=潰しあい、みたいなイメージを持っている人がいるわけですが、それは大いなるかんちがいです。議論ってのは、お互いの意見を出し合って、ちがう意見を通し理解を深め、よりよい方向へと進むことです。
何度も言うけど、誰とでも議論をして、わかりあうべきだとは思いません。そんなことやってたらキリがないからね。でも、理性的な反対意見とは、うまく付き合えばいいじゃない。議論とケンカはちがうんだからさ。
相手に敬意を払った上での議論は、ごくふつうに成立します。
っていうか、精神的に成熟していれば、互いの意見が異なって議論になるのが当然だと思うんだよなぁ。
議論を避けてドヤ顔してる人は陰険
議論ができない人は、高確率で陰険です。都合の悪いことには耳をふさぎ、自分の意見だけを妄信し、それがカッコイイと思ってる。そういう人が影でだれかをいじめたりするんでしょうね。自分に従わせたい人ですから。
どこにでもある、ふつーの反対意見に過敏になる人がいます。心が狭く、自分を過信してるんでしょうね。自分に反対する人は許せないわけです。
でも、心が狭いのがバレたらイヤなので、「こういう人たちを相手にはしません」とか、「イヤなら俺と話さなければいい」とか言ったりする。アンチのバッシングとかじゃなく、ただのちがう意見に対して、です。
それってちょっと調子に乗りすぎですよね。ネットでもリアルでも、自分の考えを伝えたら、ちがう意見が出るのは当然でしょ。それで、「わたしはちがう考えです」って言ったら、「じゃあ俺と話さなきゃいい」みたいな。そういうことじゃないじゃん。
わたしの意見を受け取ってくれた人が、自分の意見をわたしに伝える。ごく自然なキャッチボールです。なのに、返ってくるものがネガティブなら、「返してくるな!」と言う。だったら意見を伝えなければいいのに。
そういう人は、自分とはちがう意見を潰そうとするので、高確率で陰険です。陰険な人は他人をおとしめ、優越感に浸り、自分が正しいと思い込む。やめた方がいいです。そういう人と関わるとイヤな気持ちになるだけです。
ちがう意見を受け止められず、ただ議論から逃げる人は、ただのわがまま駄々っ子ちゃんですね。