理不尽なクソコメント&レビューについて思うこと

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20日にはヤフーニュースで『ドイツ人はポカーン 「日本人とドイツ人は似ている」なんて大ウソ 在住者が実感』が、21日にヤフーニュースで『問題続出! そもそも「部活動」って必要なの?』が、デイリー新潮経由で公開されています。

 

昨日、東洋経済オンラインで公開された『「ドイツ人は残業しない」説の大いなる誤解』はふたたび人気記事に入り、こっちもヤフーやライブドア、MSNニュースに転載されました。

 

こんな感じで、おかげさまで初めての著書『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』を多くの人に読んでもらっています。数千もの本が売られているamazonの本のなかで、100位以内に入っていました。ありがとうございます!

 

でも多くの人に注目してもらうということは、それだけいろんなことを言われることでもあり……。

理不尽なコメントやレビューについて思うことを書いていこうと思います。

 

クソコメント&レビューについて思うこと

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まず「クソ」の定義しときますね。そうしないと、「自分が気に入らない意見はすべて拒絶する人」だと思われちゃうので。

 

複数の人間がいれば意見が異なるのは当然です。そりゃあそうだよね、だから「わたしはそうは思いません」という反論にはちゃんと耳を傾けてる。つもりです。

 

でも世の中には、自分と意見がちがうってだけで、無用な攻撃をする人がいるわけですよ。

「わたしはちがう意見です」で済むのに、「俺とはちがう意見だから、こいつはまちがっている」「この人はまちがえているから、人間性にも問題があるんだろう」と認識しちゃう。

 

「いろんな意見の人がいる」「無用な人格攻撃はしない」という、当然身につけておくべき倫理観がない人によるコメントやレビューを、わたしは「クソ」だと認識しています。

 

多くの人に読んでもらえるのは、ライターとしてうれしいことです。だからこういうのを書くのはよくないとはわかっています。

でもさぁ……もうずっとモヤモヤしてて!! 個人ブログだから愚痴も許して!!

 

あまりにも多い人間性への言及

著書のなかでは、「なぜ人格と意見をわけられない日本人が多いのか」について言及しています。もちろん日本人みんながそう、というわけではないけど、もう本当に多いんですよね。なにかあるとすーぐ人間性に言及してくる。

 

これはわたしだけじゃなくて、だれに対してもそう。自分とちがう意見をもつ人を攻撃したがる人が本当に多い

 

「自分はそうは思わない」で終わらせればいいじゃん。それなのになんで「バカじゃないの」とか「頭が悪い」とか「この人はきっと~」とかって発言につながるんだろう……。議論しない学校教育のせいかなぁ。

 

「俺は和食が好き」と言う人に対して、リアルで「はぁ?ふつうイタリアンだろ。頭おかしーんじゃねーの」なんて言ったらただのやばい人なのにね。

 

書いていないことを捏造して広める

著書が発売されたばかりなので、タイミング的にはこの2週間、できるだけブログを更新すべきだったとは思います。でもわたしは、2週間半ブログを放置していました。その理由は、拙著に書かれたとあるレビューにあります。

 

それは、わたしが書いていないことについて批判し、まるでわたしがそう書いたかのような印象を与える内容でした。これが思いのほかショックで……。

 

いやね、いままでもいろいろ言われてきましたよ。そこまで打たれ弱いわけじゃないです。

でも一生懸命書いた本に対して、書いてないことを理由に人間性を否定されるのはなんかもう……やるせなくなりました。やってらんねーって感じです。

 

 

東洋経済オンラインの記事でも、「筆者はドイツの不便さより日本の便利さがいいと言いたいんだろうけど」っていうコメントがちらほらありました。でもそんなことまったく書いてないよね!? どっちがいいって論じる記事じゃないもの!! なんならドイツの不便さのほうがいいと思ってるよ!!

 

自分が知らないものは「存在しない」と決め付ける

世の中には、知らないことがたっくさんあります。というより、知らないことの方が多いです。だから自分の知っている世界の外にも、たくさんの世界が広がっているわけです。

 

でも無知を自覚しないと、自分知らないもの=ないものだと思ってしまいます。「いやいやそんなバカいないだろw」と思うかもしれませんが、結構たくさんいるんですよ。

 

「自分のまわりにLGBTはいないからそんなに騒ぐことじゃない」
「正社員なのに金がなくて結婚できないなんておかしい」
みたいな。

 

実際にLGBTの人はいるし、正社員でフルタイムで働いていても十分な貯蓄ができない人もいる。それでも、自分が見たことがない、聞いたことがないから、「いない」と思い込む。

 

「なるほど、そういう人もいるんだな」と思えないのは、『自分が知っている世界が絶対に正しい』と思っているからなんでしょうかね。うーむ。

 

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自分の経験をもとに他人の経験を否定する

で、『自分の知っている世界が正しい』と思っている人は、自分とはちがう経験すらも否定する傾向にあると思います。

 

 

「わたしのまわりには『残業をしない』というドイツ人はいない。労働研究所の人も『ドイツには残業がある』と言っていた。統計もそうなっている」

と書いても、

「これは誤解。自分のまわりのドイツ人はだれも残業なんかしないからもっと調べろ」と、アマゾンで☆1つのレビューをつける。

 

いや、正直意味がわかりません。

 

なぜ自分の経験は絶対だと信じて疑わないのに、わたしの経験はまちがえている前提で話すんでしょう。

 

ちがう人生を歩んでいるのだから、ちがう経験をするのは当然です。それはどっちが正しい、まちがっている、という話ではありません。それなのに、自分の世界「だけ」が正しいと思う。ふしぎだ。

 

「自分はちがう経験した。ではこのちがいはどこから来るのか」と考えていけばもっとおもしろくなるのにね!

 

「誤解」の使い方を誤解している人たち

そしてこれまたふしぎなのが、そういう人たちはよく「誤解」という言葉を使うこと。

 

「誤解」というのは読んで字のごとく、「誤った理解」のことを指します。そこには必ず「事実」があって、その事実にそぐわない理解が「誤解」にあたります。それなのに、根拠のない主観的な意見をもとに、他人の意見を「誤解」と判じる人がいる。

 

たとえば、↑で上げたように「自分のまわりのドイツ人は残業しない。お前は誤解している」というレビュー。

 

「誤解」という言葉を使うのであれば、その根拠は事実でなくてはいけません。「自分のまわりがこうだから」「自分は聞いたことがないから」「自分はこう思っているから」なんてのは理由にならないんです。それは「異なる」だけで「誤っている」わけではないからね。

 

それがもし反証となるデータを伴っていたら、「どっちが正しくてどっちが誤解か」が検討できます。でも根拠がなければ、それはただの難癖というものです。

 

「誤解」という言葉を使えば、「自分は真実を理解しているが相手はわかってない」というレッテルを貼ることができる。だからこそ、「誤解」という言葉はものすごく慎重に使う必要があると思ってます。

あ、このレビューに関してだけじゃなくて、全体的にね。気軽に使う人が多いからさ。

 

知的好奇心をもちつづける人間でありたい

とかなんとか言いつつも、『自分が正しい』を前提として考えてしまい、結果的に他人を理不尽に否定しまうことは、だれにでもあると思うんです。気をつけてはいるけど、わたしだってやってるかもしれない。

 

じゃあ、どうやったらそうことをしない人間でいられるのか。それには『知的好奇心』が必要なんじゃないかと思います。

 

自分は無知であり、世の中には知らないことがいっぱいある。それを知りたい。もっと知りたい。

 

そう思ってれば、他人が書いていることを問答無用に「まちがっている」と決め付けたりはしません。「自分とはちがう経験をしたんだ」「じゃあそのちがいはどこからやってくるんだろう」「こういう感じ方をする人もいるのか」と思えます。

 

「知りたい」と思っていれば、その人の人格うんぬんなんて話は出てきません。気になるのは、その情報が正確かどうか、その意見に正当性があるかどうか。それだけです。

 

理不尽な人格否定や根拠のないネガティブコメントを見ると、多少なりともイヤな思いはします。レビューに関しては、正直かなりショックでした。

でもそういう人ばかりじゃないのはわかっているし、そういうことを書く人がいるのもまたしょうがないことです。それだけ多くの人に届いたってことですから。

 

お問い合わせやDMなんかでは、「同じ経験をした」と言ってくださる方からの連絡も多くいただいていますし(ありがとうございます!)。

 

あんまり引きずらず、誠心誠意、できることをコツコツやっていかなきゃですね( ˇωˇ )

 

ちなみに、根拠がある反論や異なる意見、わたしが知らなかった事実関係の指摘なんかは興味深く拝見しますので!

 

というわけで、モヤモヤはいま全部書いたからすっきりした気持ちで一時帰国します!! 愚痴に付き合ってくれてありがとう!! 心機一転、またがんばります!!