☆本日発売の『週刊エコノミスト』で拙著の短評が載っております。よろしければぜひお手にとってみてくださいませ☆
わたしは「誰にでもできることはある」と思っています。一方でそれを、生存バイアスだと思う人がいるのも理解できます。「どうにかできた人間が『どうにかなる』と言うのは、結果を出せた人間の言い分だ」という意見ですね。たしかに、そういう考えも一理ある。
でもわたしは、あえてそれに反論したいんです。「糧にできない失敗はただの後悔だから! 失敗談ってのは結果オーライでなんぼのものだから!」と。
失敗を糧にした経験談と生存バイアス
先日現代ビジネスに執筆した『日本の就活避け22歳でドイツに脱出した私が就職できずどう生きたか』に書いているように、わたしはいろいろと失敗しました。
日本でもドイツでも就活がうまくいかず、ドイツの大学も辞め、一瞬ドイツでニートになり、そこからフリーライターになった。「自分はなにもできないダメな人間だ」と思っていた人間ですら、いま生計を立てられている。
世の中には無限の働き方、生き方があるんだから、できることがまったくないなんて、そんなことはない。なにかしら道はあるはず。
……というのがわたしの『失敗から導き出した結論』なのですが、これは生存者バイアスだと受け取られるかもしれません。「結果的に成功したからそう言えるだけで、成功しなかったらそうは言えなかったはずだ」という意見も、一理あります。
たしかに、「俺は1億円の借金を返せたから借金しても大丈夫!」と言われても、「お前がうまくいっただけでそうは限らないだろ」って思いますよね。うん。
でもそれに、わたしはあえてそれに、反論したいんです。
うまくいくまでやって結果を出すんだよ! そして結果を出したから、失敗や遠回りを自分の糧として消化できるようになるんだよ!と。
そして、「お前ができたからといってみんなができるわけじゃない」というのは裏を返せば、「お前にだってできたんだから俺にだってできる」でもあるんですよ!
失敗を自分のなかで整理して糧にする
失敗ってつらいじゃん。しんどいじゃん。できるなら避けて通りたいじゃん。だから失敗と向き合って、心と環境の整理をして、さらに消化して自分の血肉として糧にするのって、なかなかしんどい作業なわけです。
その作業ができるようになるのって、時間が経ってある程度現状が落ち着いてからだと思うんですね。
失敗って、自分の中で整理できるまでは、うまく語れないものなんですよ。だって整理できてないんだもん。
時間が経って、次の行動に移して、それがある程度結果を出せてはじめて、「あの失敗から学べたことがある」と気づけるんです。というか、「結果的にあの失敗も必要だったんだなぁ」と自分に折り合いをつけて納得できるようになる。
それを『生存者バイアス』だというのなら、そうなのかもしれない。
でも、じゃあ「結局どうにもならずなにも学べない失敗でした」って言えばいいのかって言うと、それはちょっとバカすぎると思いません? それってただの黒歴史じゃん。ムダな苦労じゃん。
どうせ失敗するならなにかしらの糧にしなきゃ、ただの骨折り損のくたびれ儲けですよ。つらい!!
失敗談は結果オーライになって当然
自分の失敗を冷静に語れる時点で、その失敗を糧にして折り合いをつけたってことだから、『結果オーライ』になってて当然なんです。
逆に生存できなかった側の人たちは、失敗と向き合わなかった、向き合えなかった人で、いまでも自分の中で整理がつけられていないんだと思います。糧にできていないから、自分の失敗を語れない。
それが悪いっていうんじゃありません。わたしにだって思い出したくない過去のひとつやふたつあります。で、それは、どう言い訳しようとただの『やらかし』なんですよ。糧にしようもないやつ。やんなきゃよかったってやつ。
ほかにも、自分が悪くないのに環境のせいでうまくいかなかったとか、だれかに足引っ張られたとか、そういうこともあるでしょう。
でもそういうたぐいのものは、失敗ではなく『後悔』って言うと思うんですね。失敗は成功のもとだけど、後悔は避けれるなら避けた方がいいですし。失敗談は学びがあるけど、他人の後悔なんて聞いても後味悪いだけですし。
だから、失敗談はどれもが結果オーライになってて当然なんじゃないかなぁ、なんて思います。後悔した話はたいてい、結果オーライにはなってないもんね。
生存者バイアスを利用すればいい
わたしがこの記事を書いたのは、「生存者バイアスだろ」と言う人に「うるせーよバーカ!」と言いたいからではありません。
まず大前提として、「失敗談は結果オーライが当然で、そうじゃないのはただの後悔だよね」って思ってます。
そして「自分ができたからってほかの人もできるとは限らない」というのもわかるけど、「だれかができるならあなたができる可能性もある」とも言えるんじゃないかなってのがわたしの意見です。
たしかに、わたしは幸いなことに、そこそこ文章を書くのが得意だったよ。うまいことクライアントさんに声をかけていただけたよ。そうじゃない人もいるなかで、うまく生存できたとは思うよ。
でもこれって、ものすごい才能と奇跡が重なったうえでの結果じゃないですよね。だれにでもあるちょっとした長所×コツコツ努力によるものですよね。
『生存者バイアス』と言うのほどの苛烈な生存競争を生き抜いたわけではないよ。実際、たいして稼いでないし有名でもないしな。
失敗した過去を正当化してるんじゃなくて、失敗が必要だったと思えるくらい、自分のなかで折り合いをつけられたんです。折り合えたのは結果的にうまくいったからっていうのは事実だけど、うまくいくまでやるんだからそりゃそうなるよ! うまくいってなかったらただの後悔だもん! そんなもん記事にしないわ!
わたしの失敗経験に対して、「成功したから言えるんだろ」じゃなくて、「こいつにもできたなら俺でもできんじゃね?」「こいつでもどうにかなったならイケそうな気がする!」って思ってくれる人がいればいいなぁって思います。そして、そう思ってもらえるような記事を書いていきたいな。
なんて話でした。現代ビジネスの記事、おかげさまで多くの人に読んでいただけたよ! ありがとうございます!