ヨーロッパなら、どの国でもまぁだいたい英語は通じるだろう。そう思っている人が多いと思う。たしかに、日本と比べたら英語が通じる国は多い。
だからなのか、「現地語が話せなくても問題なく生活できる!英語圏じゃないけどこの国は移住先におすすめだよ!」という意見をちらほら目にする。
それも一理あるけど、そこには少しの誤解がある。
「英語が通じる国」のほとんどは、「英語以外の言語で成立している国」であることを、忘れないでほしいのだ。
ドイツは本当に英語が通じる国なのか
ドイツに対して、「英語が通じる国」というイメージをもってる人も多いと思う。
EFの英語能力指数では、ドイツは80ヵ国中9位。割と上位だから、相対的に英語力は高い。
でもわたしの体感としては、「英語は通じるけど英語で生活できる場所はごく一部だけ」だ。
英語を話せる人といってもそれなりに教養がある若い人がメインで、中高年になると「カタコトで道案内はできる」くらいのレベルの人も多い。
まぁ日本人とちがい、外国語でのコミュニケーションにビビることはないから、まちがっていても堂々と力技で伝える側面はあるんだけども。
「ドイツは英語が通じるからドイツ語ができなくてもだいじょーぶ!」という意見をうのみにしてほしくないから、わたしなりに思うところを書こう。
ドイツ語の公用語はドイツ語である
そもそもドイツの公用語はドイツ語オンリーで、日常生活では英語はまったく必要ない。
賃貸契約書や銀行の手続きの書類、保険会社からの手紙など、すべてドイツ語だ。外国人(アフリカ系や東洋人)相手でも、基本ドイツ語で話しかける。
一番最近、英語使ったのいつだろう。1年位前に、ドイツ語を話せないシェアメイトと英語で話したくらいかな。
ちなみにわたしが前に住んでいたヘッセン州の州都ヴィースバーデンは、外国人局のくせに「書類英語お断り」「メールはドイツ語のみ」を掲げていた。
さすがにそれはどうなの、とは思うが、公用語がドイツ語である以上、英語で対応するかどうかはその人のさじ加減ではある。
英語で対応してくれるのは相手の好意によるものであり、こっちが「英語しかわかんねーんだから英語を話せよ」と文句を言うのは筋違いだし、「英語で対応してくれるっしょ?」と思い込むのもまた筋違いなのだ。
逆を考えればわかりやすい。
日本に来た外国人が、銀行の窓口で、なにやら騒いでいる。どうやら「英語で対応をしろ。こっちは英語しかわからん」と言っているようだ。
そういう人を見たら、「いやいやここは日本だから……」と思わないだろうか?
「英語があれば大丈夫!」というのは、相手に母語以外でのコミュニケーションを強制することでもある。
それは相手の理解があって成り立つことだから当然だと思うのは驕りだし、付き合える人は「こっちのルールに合わせてくれる人」だけなのだ。
現地語を話さなければいつまでも「客」
相手が話せないのなら英語を話してあげるしかない。しょうがない、相手はガイコクジンなのだから。
……さて、あなたは現地の人に、こういうふうに思われたいだろうか。
もちろん、短期滞在の人や、自分の意思と関係なく仕事で来た人もいる。そういう人は事実お客さんなのだから、英語で対応してもらえばいい。「ゲスト」相手に英語を使うことを不愉快に思う人は少ないと思う。観光客相手しかり。
ただ、ゲストではなく「仲間入り」したいのであれば、現地語は大事だと思う。
「日本が好きで日本に来ました!日本語を話せません!英語で話してね!」と言う在日歴5年のトーマスと、「日本語が好きで日本語を勉強してます!まだカタコトだけど日本語話そうよ!」と言う在日歴半年のジョン。
わたしが仲良くするなら、断然ジョンがいいもん。
現地語を話さない=その国に馴染む気がない?
ドイツでは基本的に英語を使う場面はないから、知識として英語を身につけていても、英語でのコミュニケーションを負担に思う人もいる。
銀行や役所なんかでは、担当によっては英語しか話せない客に対しあきらかに対応に手を抜き、面倒くさがる人もいる。ほとんど命令形で「だからあっちだって!わたし知らないから!OK!?」と言う人もいるからね、本当に。
あくまでわたしのなかのサンプルだけど、ドイツ語ですべて受け答えできるうえ、ドイツ語を使った生活(大学や仕事)を送っている人で、ビザの苦労をした人は知らない。
ビザで苦労してるのはたいてい、「ドイツに住みたいんです!」と英語で言い、仕事もすべて英語でこなしているような人だ。
相手が「ドイツじゃなくてもいいんじゃないの?」って思うのも当然である。
言葉とは、コミュニケーションツールだ。現地のコミュニケーションツールを使えないということは、その国に馴染む気がないと思われてもしょうがない。
現地語を話さないと見えない姿
日本語には、擬音語や擬態語が多い。「しとしと」「ザアザア」「ぱらぱら」と、雨の強さを表現する。一人称を「僕」にするか「俺」にするかで、相手に与える印象が変わる。謙譲語を使って相手を立てるのが礼儀。
こういったものは、日本人のメンタリティに深く関わっている。なにに対してどう感じるか、どういうふうに言葉を扱うのか。言語と文化は切っても切れない関係なのだ。
たとえばドイツ語には、いわゆるタメ口と丁寧語がある。
「人間関係でなぁなぁにならないように」と、社内全員が丁寧語で話す(もちろん上司→部下に対しても)ところもあるし、フレンドリーに全員タメ口(部下→上司に対しても)のところもある。
ドイツでは、相手が境界線のソトの人かナカの人なのか、ちゃんと区別するわけだ。
……というように、言語を学ぶことで見えてくるその国の姿がある。それは、海外を暮らす上ではとても大切な気づきだ。
でも現地語ができなければ、そういった気づきを経験できない。それはもったいと思う。
あと、自分自身で一時情報を確認できないというのも、結構なハンデだ。
ベルリン基準の「ドイツ」への疑問
こう書くと、「いやいや自分は英語でいけましたけど?」という人が現れると思う。まぁたぶん、その人はベルリンに住んでる。
ベルリンというのは、地方分権のドイツのなかでも圧倒的に特殊な場所だ。いや本当、まったくちがう国みたいだと思った。わたしのなかのドイツ感をあんまり感じなかった。
いろんな人種が芝生の上で寝転がって、いろんな言語で話している。現地に住む人も、英語でのコミュニケーションに慣れている人が多い。
そういう場所なら、たしかに英語だけで暮らすのも、問題ないんだと思う。
でもベルリンはドイツの一部でしかない。特例であるベルリン基準で「ドイツは英語で生活できる」と思うのは、ちょっと危険だと思う。まぁベルリンに住むんならいいけどね。
デュッセルドルフやフランクフルトでなら、まぁ多少不便だろうが、英語で生活しても苦にはならないだろう。
でも小さな都市、というか町や村レベルになると、途端に英語では生活しづらくなる。
ちなみにわたしは人口5000人以下の村に住んでいるけど、ドイツ語以外の言語を耳にすることはまずない。
「英語ができればドイツで暮らせる」の是非
わたしは、英語だけで暮らしているドイツ在住の人を責めるつもりはまったくない。人によって移住の目的はちがうし、多少不便でもそれを笑って流してしまう精神力があれば問題ないと思う。
ただ、そういう人を見て、「現地語ができなくてもいいんだ!英語だけで生活しよーっと!」とドイツに来ると、帰りたくなると思う。
ドイツはたしかに英語は通じるけど、生活はすべてドイツ語だ。英語しか話さないということは、四六時中理解できない言語に囲まれ続けるということである。
ベルリンのような特殊な都市ならそれでも疎外感はないだろうが、中都市くらいになるとすぐに不便を感じるだろう。
最初からドイツ語を完璧にする必要はないし、英語OKの場なら英語を使えばいい。
移住のハードルを下げるために「英語が通じる国」「まずは英語で」というのはもちろんアリだけど、自ら移住するなら、現地語を多少なりとも勉強する姿勢はもっていたほうがいいよ、という話。
こちらからは以上です。