「もったいない」が、日本人から無駄を愛する気持ちを奪った?

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高校の英語の授業で、アフリカ人女性ではじめてノーベル平和賞を受賞した、ワンガリ・マータイさんについて学びました。彼女は「もったいない」という日本語に非常に感銘を受けて、「MOTTAINAI」キャンペーンを行ったそうです。

 

無駄にせず、大切にする精神――。そう聞くとすごく響きがいいんですが、その美徳が、逆に日本人を苦しめているのかもしれません。

 

「もったいない」という言葉が呪縛に

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「もったいない」という言葉は、「価値があるのに無駄になっている」状況などに対して、「無駄にするなよ」と諭すような場合に使われます。語源由来辞典によると、「粗末に扱われて惜しい」といった意味があるようです。

 

モノには魂が宿っている。使えるものはとにかく使う。文明開化前の日本は、ハイパーリサイクル国家だったそうなので、その言葉もぴったりです。

 

おばあちゃんは自分の着物を娘の着物に作り直し、古くなったら巾着にしてました。お母さんも、いらないタオルを雑巾にしていました。みなさんのご家庭でもそうしていたかもしれません。

 

日本人というのはそうやって、古くなったものやいらなくなったものにも価値を見出し、その価値を目一杯引き出して、大事にしてきました

 

それなのに、日本は現在、大量消費社会。使えるモノだって捨てるし、新しいって理由だけで買い替える。それが悪いわけではないです。

ただ、「もったいない精神」を持っていた国が、なんでどんどんモノを消費してるんでしょう?

 

それは、「もったいない」のカタチが、現代では大きく変わってきているからだと思うんです。

 

モノから時間が「もったいない」へ

昔の人たちはリサイクル・リユースの達人だったわけですが、その割に、庭を眺めてぼーっとしたり、縁側で将棋を打ったり、時間を贅沢に使っていました。現代人からすると、むしろそっちの方がもったいないように思えます。

 

現代の日本人は、とにかく時間を惜しみます。

 

日本人の旅行スタイルは、「旅行中は朝から晩までいろいろなところにまわり、わざわざ疲れに行く」と、よくドイツで揶揄されます。

 

ドイツ人と旅行の予定を立てると、「いかにのんびりするか」に心血を注ぐことが多いんです。どれだけストレスなく、どれだけリフレッシュできるかが焦点。

 

逆に、日本の友達と旅行の予定を立てると、決まって「もったいない」という言葉が出てきます。

「せっかく行くのに夕方に着いたらもったいない」「ここで2時間も使うのはもったいない」「この料理を食べなければもったいない」などなど。

 

最近は「モノを大切にしなくなった!」って言われるけど、逆に、「モノより時間を大切にするようになった」とも言えるんじゃないかな。

 

モノゴトを消費しない方が「もったいない」?

多くの人は、まだ使えるのにスマホを最新iPhoneにしたり、トレンドの服を今シーズンのためだけに買います。そういう人は往々にして、「モノを消費しないともったいない」と考えているように思えます。

 

「新しいiPhoneがあるのに買わないなんてもったいない」「トレンドの服は今しか着れないから買わないともったいない」みたいに、モノを消費しない=機会の損失、という風にとらえてるのかもしれません。

 

モノだけでなくコトでも同じで、「せっかくの休みだから昼まで寝てたらもったいない」「晴れてるのに洗濯しないのはもったいない」と、”休み”や”晴れ”といった機会を、無駄なく消費しようとします。

 

ディズニーランドで、アトラクションに何時間も並んでいたら、それこそ疲れるじゃないですか。 

でも、「せっかくディズニーにいるんだから、機会を無駄なく消費したい」という気持ちからか、多くの人が何時間も待ち続けます。

 

そう考えると、消費すること=もったいないだったのが、消費しないこと=もったいないに変わったといえます。なんかおもしろいですね。

 

 

 

「もったいない」精神が無駄を愛する贅沢を奪った?

ふつうに考えたら、代用が利くモノよりも、時間を大切にするのは当たり前です。現代人は特に忙しいですからね。

 

でも「もったいない」という気持ちが先行して、無駄を愛する贅沢が奪われてしまったんじゃないか、とも思うんです。

 

わたしは、半年くらい、引きこもりニートでした(in ドイツ)。

「ドイツにいるのにもったいない」と言われ続けました。でもその半年があったからライターになったわけで、もったいないとは思いません。

 

「大学を卒業したのに就職しないなんてもったいない」「ドイツ語が話せるのに語学力を活かさないなんてもったいない」。そんなことも言われました。

 

わたしは納得しているのに、他人が、「もったいない」という評価を押し付けてきます。とにかく、「機会の損失は悪だ」と思っている人が多いようです。

 

でもね、人生なんて無駄なことばっかりですよ。

海外でも引きこもりたかったら引きこもればいいし、膨大な時間を使ってパントマイムを極めたっていい。映画館で寝ててもいいし、無意味にウィンドウショッピングしてもいい。

 

時間を無駄に使うのは、もったいないというよりも、むしろ生きているからできる贅沢じゃないですか?

 

「もったいない」と言ってわざわざ疲れたり苦労するよりも、無駄を愛して贅沢に機会の損失を楽しむ方が、人生が豊かになるんじゃないかと思います。

 

無駄なことばっかりやっている雨宮がお送りしました。みんな、モノは大事にしよーね!!

 

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