最近、「新幹線の座席を倒すときは声をかけるのがマナー」という話題が盛り上がっていますね。そんなマナー人生ではじめて聞いたんだけど、本当に「当然」なんですか?
この件に関するテレビやネットでいろんな人のコメントを見ていて不思議だったのが、「なぜ思いやりの強要をマナーと呼ぶのか」ということです。
新幹線の座席を倒すマナーってなに?
みなさん、新幹線の座席を倒すとき、後ろの人に「倒していいですか」「倒しますよ」などと声をかけますか?
わたしはリクライニング機能を含めた金額を払って乗車してるつもりだったので、だれかを慮る必要があるなんて、考えたこともありませんでした。
前の座席を倒されたら困る!って人は、あらかじめ車両の最前列を指定して買えばいいわけですし。
自分の自己満足のために声をかけるのか
新幹線、飛行機、バスなど、人生で一度も「倒していいですか」と声をかけられたことがありません。が、お父さん曰く、「ビジネスマンは結構聞く」んだそうです。
でもそれって、拒否されないことを前提に聞いてますよね。「イヤだ」って言われたら、聞いた側として引き下がるべきだけど、それで納得するんでしょうか。
結局、罪悪感なくくつろぎたいし、どうせみんな「いいですよ」と言ってくれるんだから形式だけ聞いとけみたいな、身勝手な善意の期待&強制じゃないですか?
もしわたしが聞かれたとしたら、「NO」と答えるでしょうねー。席は広い方がいいし、聞いたってことはわたしが決めていいんでしょ?って思います。
自己中って言われそうだけど、他人に許可を求めるっていうことは、判断を相手にゆだねるってことですからね。
拒否される可能性を考慮に入れてないなら聞くなって話です。
声をかけてほしい人がお願いすべき
尋ねるのではなく、「座席を倒しますよ」と声をかける人の意見としては、「パソコンや飲み物に当たるかもしれないから」だそうです。
たしかにその考えは親切だと思います。でもそんなの相手の事情だし、いきなり一気に倒さなければ問題ないでしょう。
むしろ声をかけてほしいなら、後ろの人が、「パソコン見てるので席を倒すときは声をかけていただけますか」ってお願いするべきじゃないですか?
だって、前の人はいつどのくらい座席を倒すか、自分で決めていいんだもの。意図的に急に倒した場合を除いて、それで不利益を被ったら自分の不注意じゃないかな。
声をかけた方が親切だろうけど、声をかけない=自分勝手なのかというと、そうじゃないと思います。
そんな「かもしれない」を言ってたら、「家族の話をしたいけど、相手は虐待を受けていてトラウマに触れてしまうかもしれない」「クッキーをあげたいけど小麦粉アレルギーかもしれない」って、収拾つかないですよ。
だったら考慮してほしい側が、「家族の話はしないでほしい」「小麦粉アレルギーだ」って言うのがむしろ礼儀なんじゃないかなーと思います。わたしはね。
そんなに他人の事情を慮ってたら、きりがないですもん。
「自分の欲求丸出しのマナー論」は滅びろ!
ザグレブードブロブニク間で、12時間の夜行バスに乗ったことがあります。うしろに人がいなかったので、マックスまで座席を倒して寝てました。
で、休憩場所のドライブインで目が覚めたんですね。そしたら後ろに人が座っていて、「少し席を起こしてくれないか」と言われました。
その人は、わたしが寝ていたから起きるまで狭い空間で我慢してくれていたんです。すごく申し訳なくて、席を起こしました。
座席を倒すのにそんな気配りしなくてもいいだろ、とはいっても、自分がよければそれでいい!と思ってるわけではありません。
ただわたしは、「他人のことを思いやったら当然こうするだろ」という、善意を盾にして自分の欲求を押し付けてくる人が大っ嫌いなだけです。
「自分は後ろの人のために声をかける」ってのはわかるけど、「それが当然のマナー」「それをしてない人は非常識」っていうのは押しつけがましいです。
常識・マナーは「ほとんどの人が共有してる価値観」なわけで、それなりの人数が「それは当然ではない」って言った時点で、常識でもマナーでもないですし。
譲りあいや思いやりっていうのは、他人に強制するものでも期待するものでもありません。
後ろの人に声をかけるかどうかは個人の好きにすればいいけど、それが「普通の人間ならして当たり前の配慮」と他人に押し付けるのは、わたしはキライです。
わたしは声をかけないし、かけられなくてもいい。声をかけてほしい理由があるなら、こっちに「察しろ」って言わずに教えてくれれば、ちゃんと声をかける。席を倒して困ることがあるのなら、相手と話し合う。それだけです。
マナーだのなんだので自分を正当化しようとせず、快適だと思うように振る舞って、それがすれ違ったときは会話で解決。それだけの話ですよ。