なにか物事をはじめるときや、うまくいってないとき。あなたはどうやって「ステップアップ」を目指しますか?
たぶん多くの人が、「できる人の真似をする」って答えると思うんです。実際多くの成功者(らしき人)も、「とにかく真似をする」ことを勧めてますから。でもこれ、わたしは「間違い」だと思うんです。
「できる人を真似する」ことの本質
イケハヤさんとか八木さんとかは、「できる人を徹底的に真似しろ!」って言ってた気がします。ちょっと記事が見つからなかったんですが、「なぜそうすべきか」って理由には触れてなかったと思います。(書いてたらすみません)
そもそもなんで、「できる人を真似する」ことが「役に立つ」んでしょうか。
「真似る」だけならバカでもできる
ぶっちゃけ、なんで「真似」を推奨するかと言うと、バカでもできるからですよね。ネットで調べて、分析して、オリジナリティを出して……ってするよりも、「できる人の真似すればいいんだよ!」って言ったほうが、「なるほど、できるかも!」って納得させやすいです。
「真似」っていうのは、頭を使う必要がないんです。だから「サル真似」なんて言葉があるわけで。頭を使わず、ただ見よう見真似で「その人っぽく振舞う」のが、「真似」なんです。
「真似てみて、なぜそうするのかを考えることで勉強になる」と言う人がいます。でもそれは多くの場合、かんちがいです。そんなの、わかるわけがないです。だって、その人じゃないんですから。目標や理念もちがうわけですし。
「なぜあの人はメモは手書きなのか」と考えたところで、ただ早いからかもしれないし、小さいときからのクセかもしれません。考えたってわかるわけがないんですよ、相手に聞かない限り。
真似なんてものは、「頭を使わず、ただできる人のやり方をコピーしてその人っぽして手っ取り早くそれっぽい成功をしよう」という、バカでもできる手法なわけです。
真似してもその人にはなれない
「真似することを勧める人」に、「真似をして、最終的にはどうなりたいの?」と聞きたいです。中途半端なコピーが生まれるだけじゃないですか。それで成功するんですかね?
たとえば、わたしが起業家として成功したいとします。ホリエモンのやり方をそっくり真似れば、わたしはホリエモンと肩を並べることができますか? できませんよね?
スティーブ・ジョブズのプレゼン方法をそっくりそのまま真似すれば、「雨宮法 プレゼンのやり方」っていう本を出せますか? 出せませんよね?
結局、丸ごと真似するっていうのは、「その人にはなれない中途半端な人」が生まれるだけじゃないでしょうか。生まれも現在の状況もまったくちがうんですから、他人のノウハウが必ずしもアテになるわけでもありませんし。
それでも「真似する」派がいるのって、やっぱり手っ取り早いからですよね。自分で試行錯誤するより、他人が試行錯誤した結果を丸パクリしたほうが楽ですもん。
「真似」と「参考」は似て非なるもの
わたしは、「人のいいところを取り入れる」こと自体が悪いとは思いません。ただ、「都合よくおいしいとこどりしただけで成功するわけないじゃん」ってだけです。じゃあどうするか。わたしは、「参考にする」ことが一番の正道なんじゃないかと思ってます。
「真似」と「参考」のちがい
真似というのは、いわばコピーすること。参考というのは、資料のひとつとして、自分のやり方に取り入れていくことです。このふたつは、大きくちがうんです。
英語で学年1位のA君がいたとします。
参考というのは、A君のノートを見ながら、自分でまとめ、自分のノートで学ぶこと。
このちがいです。
だからわたしは、「真似しろ!」という人に違和感を覚えます。だって人に乗っかってるだけじゃないですか。「まずは真似してそれからオリジナリティを!」って、人様のものを丸々使っておいて、厚かましくないですか? A君のノートをちょっと改造して「自分のもの」として世に出すわけですから。
参考というのは、あくまで基本は「自分」ですからね。
結果はだれのもの?
↑のA君のノートの話でいくと、A君のノートを使って勉強して、学年2位になったとします。それは、あなたの成果ですか? A君の成果ですか?
キュレーションメディアでも同じだけど、「いいものを真似しました、オリジナルは明記しません」って、卑怯だと思っちゃうんですよね。考え方や時間の使い方みたいな「権利とは認められづらいもの」であっても、自分のものじゃないんですから。
「とにかく真似をしろ」って言う人は、自分とまったく同じブログデザインの人がいても、何も思わないんでしょうか。わたしなら自分が試行錯誤して作り上げたものを自分のものみたく使ってる人みたらイヤだけどなぁ。
部分的に「参考にして」取り入れるなら全然いいんですけどね。シェアボタンの位置とか。わたしもやりますし。でも、「うわぁ、これ絶対わたしのパクリじゃん」ってレベルなら、やっぱりイヤですよ。
真似=他人のモノに自分のオリジナリティを足す。参考=自分のモノに他人のオリジナリティを足す。
だから「参考」にしていれば、もともとは自分のモノなので、堂々と自分の成果だって言えます。わたしは「ひたすら人の真似をして成功しました!」っていうのは恥ずかしいことだと思います。
自分流のノウハウだけが財産になる
人様の真似をして成功しても、わたしは「自分の力」だと思いません。ましてや、人のやり方を真似したことを「自分が編み出したマニュアル」のように発表するなんて、論外です。悪質なキュレーションサイトと同じです。
結局、財産として残るのは、自分が生み出したものだけなんですよ。自分が試行錯誤して見つけた「自分だけのためのノウハウ」だけが、信じられるものです。
できる人のやり方を分析して、自分のなかにどう取り入れるか。そういう考え方は大事だと思います。「この人のこういう考えは自分に役立つ」「自分ならこうするけど、どっちがいいんだろう」みたいな模索は、自分のやり方を確立する上で大切です。
でも、「とりあえず真似しました! いい感じに成功しました!」って言うのは、自分の力でもなければ自分の成果でもないわけです。他人のふんどしで相撲をとっておいて、自分を成功者のように見せかけるのは卑怯です。
なにも考えず、ただカタチだけを真似していませんか? 考え方も目標もちがう他人をコピーして、迷子になっていませんか? 「自分流のやり方」がなにか、ちゃんと答えられますか?
できる人のやり方を参考にして、自分のやり方にプラスするのはアリです。でも、「ひたすら人の真似をしました」というのは、わたしは恥ずかしいことだと思います。「自分ではなにも生み出せない」って言ってるようなものですから。
せっかくやるのなら、「真似」と「参考」のちがいを理解して、自分流のノウハウを見つけてください。