ブロガーのはあちゅうさんが、電通で働いていたときにひどいセクハラを受けたと告発。名指しされた岸さんという方は一部事実を認め、一部を否定。
セクハラ被害を訴える一方で、はあちゅうさん自身が童貞イジリをコンテンツとして配信し続けてきたことも「セクハラ」と批判されることに。
しかもはあちゅうさんが自己弁護したことで、「悪意なければ許されるって加害者側の考えじゃん」と総ツッコミが入り、炎上状態になりました。(その後はあちゅうさんも謝罪)
この件に関して思うところを書いてみます。
セクハラ告発による私刑の正当性
はあちゅうさんどうのこうのは置いておいて、セクハラされたことを告発するのは勇気が必要です。だから基本的にみんな、「勇気を出して告発したことは正しい」と思っているようです。わたしも、告発はすばらしいことだと思っています。
でもはあちゅうさんはネットで影響力がある人で、相手も個人を名指ししているんですね。結果として、相手の岸さんという方も当然ながら批判されることになりました。
では、なぜ「ネットで告発」でなければいけなかったんでしょうか。
ネットで個人を告発する危険性
今回は岸さんもある程度影響力がある方だったので、ご本人が経緯を説明しています。
でもこれが、名もなき個人だったとしたらどうでしょうか? フリーランサーなら一発で仕事を失いますよね。スタートアップの社長なら倒産するかもしれませんね。
悪意なくノリで言ったこと、行き過ぎたかわいがりで気づかないまま相手を傷つけていたこと。それをある日突然、名指しでネットで批判されたらなにが起こるでしょうか。
個人情報がさらされて、批判されます。職場や自宅にいやがらせ電話がかかってきたり、子どもの写真がアップされるかもしれません。
わたしは、「加害者を守れ」と言うつもりはありません。ただ、一方的な名指し告発によって、相手の人生が終わる可能性もあるって話です。
相手の気持ちを理解して謝罪する機会もなく、一方的にネット上で糾弾するのは危険じゃないでしょうか。
ちなみに。スマイリーキクチさんってご存知ですか?
ネット上で凶悪殺人事件の犯人だと決め付けられ、過度な誹謗中傷をされた方です(本当は無罪)。ネット私刑って怖いですね。
個人に対するネット上の誹謗・中傷で複数人が摘発された日本初の事件らしいです(参照:wiki)
セクハラ告発の目的はなんなのか?
そもそもこのセクハラ告発は、なんの目的があったんでしょうか。同じ悩みを持つ方を励ましたい、セクハラの事実を伝えたいなら、加害者の名前を出す必要はないですよね。
結局のところ、個人名を出しての告発は相手への制裁目的だと思います。
それ自体は全然いいんですよ、相応の罰を受けるべきですから。これからの被害を減らすためにも、告発は大事です。
でもほかの方のブログで書かれているんですが、その「制裁」がネット私刑であるのはどうなんでしょう。
厄介なのは刑事事件にしないなら、告発だけで相手を追い込むことを利用する人が出て来るだけで冤罪も増えるだろうし、言ったもん勝ちの空気を作るだろう。ちゃんと訴えて証明して逮捕させてようやく社会の浄化が始まるってもんだ。
出典:元電通マン岸勇希問題、はあちゅう、ヨッピー、Buzfeedと彼らの仕事のための告発は正義とは違っている - こうして僕らは腐る
これを機に、「わたしも○○さんにこうされました」とどんどん個人名が挙がってきて、正義感あふれるネットユーザーが個人情報を特定してその人を追い詰めるかもしれません。
その告発がどれほど正しいものなのか、どの程度の罰が相応なのか。その判断はネットユーザーに任されることになります。
痴漢のえん罪も、加害者にされた人は釈明がかなり厳しいことはもう有名ですよね。セクハラ告発も、痴漢の冤罪のように問題化するかもしれません。
目的はネット告発ではないはず
なんか手段と目的がごちゃまぜになっていますが、告発する理由って、相手がちゃんとした罰を受けることですよね。で、再発防止と。
だったら「被害者は声を上げろ!」とまわりが騒ぐんじゃなくて、「セクハラ被害の窓口を作るべき」とか、「第3者を交えた話し合いのマニュアルを作成しよう」とか、そういう話になっていくべきだと思うんです。
訴える場合はどうなるか、どういう証拠が必要なのか、とか、そういうのも認知されていくとなおよし。
ネット告発はあくまで手段であって、目的ではないんです。だから、「どんどん告発しようぜ!」っていうのもまちがいではないけど、「告発することによってセクハラがなくなる流れ」になるべきなんじゃないでしょうか。
ブラック企業の寝てない自慢みたく、セクハラ体験談が一種の武勇伝や「やばかった過去」みたくなっちゃダメでしょう。
告発がセクハラ根絶に繋がっていかなきゃ、せっかく勇気ある告発がムダになってしまうよ……。
セクハラの基準は「社長の娘でも同じことをするか」
セクハラの基準って、あいまいですよね。「異性にイヤな思いをさせたくない」と思っている人、特に男性は、あいまいなラインに怯えることになってしまいます。
じゃあセクハラってどこからなの?って考えると、わたしは「社長の娘(息子)相手に同じことができるのか」っていうのがひとつのポイントになると思っています。
以前、セクハラについてこんな記事を書いてた。セクハラの基準はあいまいだけど、社長の子ども相手でも同じ発言をできるかはひとつの目安になる。社長の娘に「体も使えないのか?」、社長の息子に「童貞ってかわいい」なんて言う人はいない。つまり相手を下に見てるから言えるhttps://t.co/0unFIe5ep1
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2017年12月20日
社長の娘の胸をもんだり、「スカート短いよ。誘ってる?」なんて言う人もいないでしょう。そういう発言は、無意識に「言ったらよくないこと」ってわかってるんですよね。「言ったら社長に伝わって問題になる」って理解してるから言わないわけで。
セクハラ基準に大事な「関係性」ですが、家族ぐるみで社長の娘と何度も食事に行っているのであれば、「今日は特にかわいいな、デートかい?」なんて軽口も許されるでしょう。でも初対面で「化粧が濃い」なんて指摘することはないと思います。
ハラスメントで問題だと思うのは、「やめてください」「傷つきますよ」という言葉が、「やめてください~」「傷つきますよ~」とちょっと言い方をかえただけで同意っぽい響きになること。本気で嫌でも、謙遜や遠慮、照れだと思われてしまう。かといって「訴えますよ」は強すぎる。なにかないのか
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2017年12月19日
昨日こんなつぶやきをしたけど、「わたしが社長の娘だったらそんなことしないですよね? それならセクハラです」なんて一言は、結構いい一撃になるかもしれません。
被害者を責めない幼稚園
はあちゅうさんが炎上したとたん、リアルで繋がりのあるインフルエンサーたちが「童貞いじりはOK」なんて擁護をはじめました。
はあちゅうさんの炎上の件で、ふだんから交流ある人たちがかばってて笑う。ブロガーが炎上すると、リアルで付き合いある人がかばうよね、いつも。人情なんだろうけど、はたから見たら身内に甘い&派閥感があってちょっとね。仲いいのは結構だけど、しがらみに縛られてるように見えて、言葉が響かない
— 雨宮@フリーライター (@amamiya9901) 2017年12月19日
そこで思うのは、第3者が「OK」「NG」の線を引くのはちがうんじゃない?ってこと。
たとえば幼稚園で、太郎くんの一言で花子ちゃんが泣いたとします。太郎くんにいくら悪気がなくとも、幼稚園の先生なら「花子ちゃんを傷つけた事実について謝ろう」と提案するでしょう。
幼稚園の先生が花子ちゃんに、「あなたはひどいこと言われて当然の人間なのよ」とか、「あなたが泣いたから太郎くんが困ってるじゃない」なんて絶対に言いません。
それはなぜか?
人によって傷つく理由は深さは、それぞれちがうからです。まぁ花子ちゃんが先に太郎くんをブン殴ってたら話は別だけどね。
セクハラ告発がただの炎上芸にならないために
これって、大人でも同じだと思うんですよ。傷ついた人がいるなら謝ればいいんじゃね?って。
まぁわたしも「日本批判を読んで日本人として傷つきました!」なんて言われたら「うるせぇな」って思うから、大人だとそうかんたんな話じゃないのかもしれません。
でもそれなりの人数から「傷ついた」と言われたら、その発言や姿勢はたぶん、不適切なんです。
そしたらやっぱり、謝るしかないですよね。で、それでも謝らない、自分は悪くないと思うのであれば、やっぱり法に則って善悪の線引きをしてもらうしかないんじゃないかと思います。ネット私刑という方法ではなくてね。
法律とは言わずとも、第3者を含めた話し合いは必要でしょう。よっぽど悪質なら即通報案件ですが。
そう考えると、必要なのは「それは悪いことなんですよ」と加害者側にちゃんと理解してもらえるような取り組みや、被害者側がひとりぼっちにならない仕組みなんかだと思います。あと、話し合いに同席する「第3者」になりえる人の教育とかでしょうか。
セクハラはたしかに難しい問題です。恋愛に発展することもあるし、逆に病になるほどの心の傷を負うかもしれません。
ひとつ思うのは、ネット告発が続いて第3者が勝手にセクハラの線引きをしてただの炎上騒ぎになるのではなく、「セクハラが本当になくなるためにどういう社会の仕組み、認識が必要なのか」を考えていくことが大切ってことです。
こちらからは以上です。