みんなが不幸になる日本の「同調圧力」は、絶対悪だ

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わたしは、日本の同調圧力というものが大嫌いです。「みんなで一致団結してなにかやり遂げよう!」ならまだわかるんですが、「みんな苦労してるんだから、お前も不幸になれ!」って感じが強くてイヤです。

だれかが不幸だからって、なんでみんな不幸にならなきゃいけないんでしょう。

 

みんなが不幸にしかならない同調圧力なら、やめませんか?

 

日本の同調圧力が嫌い

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日本人は和を重んじるので、「みんなと一緒」が正解で、「少数派」が不正解となる場合が多いですよね。

少数派が社会からはじかれるのはどこでも同じですが、日本は際立ってひどいです。「みんな一緒が正義!」っていう同調圧力がすごく強いです。

 

▼「同調圧力」の意味

同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、地域共同体や職場などある特定のピアグループ(英: Peer group)において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。

同調圧力 - Wikipedia

 

「多数意見に強制する」というのは、そのまんま日本の風潮です。そして同調圧力は、多くの場合で「お互い不幸になる」というマイナスな結果を生み出します。

 

同調圧力で断らせないのが嫌い

同調圧力といってどんなのが思い浮かぶかと言うと、「残業代も出ないのに部活の顧問をやらされる先生」 「シングルマザーなのにPTA役員をしなきゃいけない」「全国レベルの選手なのに後輩だから玉拾い」「野球部だから丸坊主」とかでしょうか。

 

部活に関して言えば、初心者も経験者も1年生だからって理由で玉拾いさせるのは意味がわかりません。わたしは弓道部だったのですが、「武道だから」という理由で染髪禁止でした。校則ではOKなのに。本当に謎。

 

同調圧力は多くの場合非論理的なのですが、なぜかまかり通る。同調圧力って、多数派が少数派を黙殺するんですよね。

「みんなのため」「みんなやってる」「わがままは許さない」という3拍子で、相手のことを考えずに押し付けるのが、同調圧力です。

 

で、少数派も多数派の理不尽を理解して、「みんなやってるからしょうがないか……」と言って沈黙します。それが日本で毎日のように起こっている同調圧力です。

 

同調圧力は権利無視で嫌い

わたしは日本人ですから、こういう同調圧力を何度も経験しました。もしかしたら無意識のうちに、少数派の意見を黙殺してしまっていたかもしれません。

 

でもここで忘れちゃいけないのは、少数側にも権利があることです。

当たり前だけど、少数側も自分の意見を言って、相手の意見を拒否する権利があります。

 

「(顧問の希望を聞かれる学校側のアンケートでは)第1希望から第3希望まで書きますが、『やるか、やらない』の選択肢はないわけです。拒否はできない。原則全員で、と言われます。(校長の)命令というより現場の慣習ですね」
出典:「部活顧問はブラック」署名運動までする教師たちの切実

 

部活の顧問は朝練、夕方練習に付き合っても残業代なし、土日も練習や試合で潰れる。でも基本的に多くの教師が「なにかしらの顧問」を押し付けられています。理不尽です。

PTAも同じで、親の介護があろうが、シングルマザーで時間がなかろうが、多くの母親が、なにかしらの役割を押し付けられているようです。

 

同調圧力は、「数の暴力」によって権利を奪うのです。

 

部活の顧問でいえば、無給労働を強制することは違法です。よね? 退会の自由を奪うことは、結社の自由に違反しているそうです。それなのに、多数派が少数派を黙らせます。

 

これは、議論が嫌いな日本人同士だからまかり通ると言えるでしょう。

 

 

 

同調圧力は不幸になるだけ

同調圧力というのは、多数派の数の暴力と、少数派の我慢によって成り立ちます。

 

少数派が我慢することによって丸く収まるんなら、同調圧力にも「メリットがない」とは言えないように思えるかもしれません。 

でも実際考えてみると、加害者側になる多数派も、被害者側になる少数派も、両方不幸に見えるんですよね。全然大団円じゃないんです。

 

少数派で我慢せざるを得ない人は、基本的には不幸でしょう。拒否する権利を奪われ、数で圧倒されるわけですから。

じゃあ多数派で自分の意見を通す人たちが幸せかといえば、そうじゃないと思うんです。

たとえば部活の顧問だって、「顧問やりなさい」って強制している先生も、「顧問って面倒だわ」って思ってるでしょうし。

 

少数派に圧力をかける多数派は、自分だけ損したくないから、ほかの人にも「拒否できません。みんなで不幸になりましょうね」って同調圧力をかけるんだと思います。要は、ただの足の引っ張り合いです。 

 

同調圧力は不幸になるからやめよう

日本は、個人と集団を混ぜて考えることが多いと思います。個人は集団に所属しているから、個人=集団、みたいな。

本当は所属しているんじゃなくて、個人が集団を形成しているんですが、順序が逆なわけです。まず集団ありきの個人。だから、個人と集団がごちゃ混ぜになる。

 

「個人の我慢によって集団がうまくいく」

「だから我慢は仕方ない」

「わたしも我慢したからあなたも我慢ね」

「みんなのためだから拒否権はないよ」

 

みたいな。これをもうちょっとWin-Winにしたいと思いませんか?

集団のために個人を犠牲にするんじゃなくて、個人の利益のために集団がまとまっていくのが自然のかたちだと思います。

 

で、個人の利益が守れずにだれかが損をするっていうんなら、システム自体を見直すべきです。

 

「だれかが我慢しよう」っていうんじゃ損な役の押し付け合い。そしたら「じゃああなたも我慢してね」ってみんなが不幸になる。

同調圧力で我慢が当然になってしまえば、個人の権利は堂々と剥奪されます。そんな社会イヤだよ。

 

我慢しましょう、じゃなくて、議論しましょうになって、お互いの利益をできるだけ守るような風潮になってほしいものです。

「みんながやっているから」は、なんの大義名分にもなりません。

 

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